「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。
今回の記事は1997年6月に鈴鹿サーキットで開催された「全日本ツーリングカー選手権シリーズ第7戦/第8戦」の話題です。
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)というレースについては前年のこのレースに関する記事の中でも詳述したところですが、ヨーロッパにおける同種のレース(イギリス BTCC、ドイツ DTM)の隆盛を受けて我が国でも1994年から開催されているもので、2000cc以下の自然吸気エンジンを搭載した4ドア・4座席以上の量産車により争われるレースです。
’96全日本ツーリングカー選手権シリーズ 第5戦/第6戦(1996.6.2)
量産車によるレースとは言え、一定の範囲であればウイングやオーバーフェンダーなどの空力付加物を装着することが許されており、またエンジンやサスペンションもかなりの範囲で改造が許されたため、車両を提供するトヨタ・ニッサン・ホンダ各社では激しい開発競争が繰り広げられました。これに対して、レース運営サイドでは車両間に極端な性能差が生じないよう、エンジン回転数や車両重量に厳密な制約を設けるほか、前のレースで好成績を残した車両には重量制限を厳しくする(ウェイトハンデ 1997年の規則では最大70kgの重量増が義務付けられる)などの規則を導入し、「観て面白いレース」を演出できるような方策を講じていました。
こうした背景を踏まえて以下の記事を御覧ください。
1997全日本ツーリングカー選手権シリーズ第7戦/第8戦
JTCC鈴鹿スーパーツーリング
「羊の皮を被った狼」という表現は、その昔、スカイラインGTが登場し、国内のレース界を席巻した頃によく使われたものです。4ドアのなんの変哲もないセダンなのに、いざ走りはじめると生粋のレーシングカーすら簡単に抜き去ってしまう、そんなシーンに胸を躍らせたファンも多いのではないでしょうか。
さて、古きよき時代を彷彿とさせるように、国内を代表する各メーカーの4ドアセダンによるレースを現代によみがえらせたのがこのシリーズ、「全日本ツーリングカー選手権(JTCC)」です。トヨタからはチェイサー、エクシブ、ニッサンはプリメーラ・カミノ、ホンダはアコードという、「スポーツカー」というイメージとはちょっと違った自動車によって争われるレースなのです。
外観は、派手なカラーリングと大型のウィングが目に付く程度で、街を普通に走っている車とほとんど差がないように見えますが、実はその中身はほとんどフォーミュラカーと同じくらいに作り替えられてしまっているとてつもない怪物マシンなのです。
一昨年はトヨタのエクシブが圧倒的な強さを誇り、昨年はホンダ・アコードが手の付けられない大暴れをしました。順番から言えば、今年はニッサンが頑張る年となるはずですが、果たして・・・・(^^;
一日に決勝レースが2回行われるのがJTCCの特徴です。今回(6月8日)は、シリーズ第4節(第1節は雨のため中止)にあたる第7戦、第8戦が行われました。
前日に行われた予選により、第7戦、第8戦ともポールポジションはアコードに乗る黒澤琢弥が獲得しました。しかし、プリメーラに乗る本山哲が両戦とも2番手につけ、同じプリメーラの星野一義がそれぞれ3位、4位に付けるなど、「プリメーラ侮り難し」という印象を与えました。
そして迎えた第7戦、決勝はポールからスタートした黒澤が好ダッシュを見せ、後を本山、星野が追う。しかし、本山は第一コーナーから第二コーナーへ向かう地点で大きくコースアウト。最後尾まで順位を落とし、急遽ピットインしますが、結局ステアリング系統のトラブルということでリタイヤ。早急に修理を行い、続く第8戦への準備に取りかかりました。
その後、トップをひた走る黒澤の背後に星野が迫ります。しかし、前回のレースまで好成績を残してきた星野のマシンには50Kgのウェイトハンデが課せられており、結局これが効いた形で後半はだいぶ差を付けられてしまって、星野は2位に終わり、黒澤がトップでチェッカーを受けました。
3位には予選9位から猛烈な追い上げを果たしたエクシブの影山正美が入り、メーカー直系チーム以外のドライバーに贈られるTCCAカップを獲得しました。
順位 | ドライバー | マシン |
1位 | 黒澤 琢弥 | PIAA SN ACCORD |
2位 | 星野 一義 | カルソニック プリメーラ |
3位 | 影山 正美 | ADVANエクシブ |
第7戦の終了後、車両整備のための10分間のインターバルを経て第8戦が行われました。第7戦でトラブルを起こし無念のリタイヤに終わった本山のマシンは無事にスターティンググリッドに整列できましたが、アコードの中子は、ピットから出る際にマシントラプルが発生し、ピットスタートとなってしまいました。
第8戦もポールポジションからスタートした黒沢がトップで1コーナーへ進入。今回はトラブルを克服した本山が、黒澤を追い立てるように1コーナーへ進入していきました。
そして、41周で行われるレースの13周目、本山が黒澤の一瞬の隙をついて1コーナーのイン側へ進入、そのまま黒澤を抜き去りました。前が空いた本山は、黒澤よりも終始速いペースで周回を重ね、後半はほとんどサンデードライブの様相を見せて、余裕の優勝を飾りました。
2位は黒澤、3位には第7戦に続いてプライベートの影山が入りました。
順位 | ドライバー | マシン |
1位 | 本山 哲 | ザナヴィ・カミノ |
2位 | 黒澤 琢弥 | PIAA SN ACCORD |
3位 | 影山 正美 | ADVANエクシブ |
ホンダ陣営は、今回の鈴鹿戦からコードネーム3Xと呼ばれる新型車両を投入し、絶対的な強さを発揮するかと思われましたが、その予測に反してニッサン・プリメーラの速さが目立ったレースとなりました。次回のレースは真夏のMINEサーキット(山口県)。今回のレース結果をもとに、本山と星野のプリメーラはそれぞれ60Kgのウェイトハンデを積むのに対し、アコード陣営では黒澤が50Kg、中子が10Kg、道上が0Kgとなり、ニッサン勢の苦戦が予想されますが、果たして、それでもプリメーラが速いのか、それともホンダ陣営が起死回生の必殺技を繰り出すのか、また、ここのところ影の薄いトヨタ勢がチェイサー、エクシブで反撃を志すのか、ちょっと目が離せない展開になりそうです。
第1レース(第7戦)のスタート。黒澤、本山(ともに写真外)に続いて、星野(プリメーラ)、道上(アコード)、飯田(オペル・ベクトラ)、岡田(アコード)、中子(アコード)、影山(エクシブ)らが続く。
先月、富士スピードウェイで行われたフォーミュラ・ニッポン第3戦で優勝を果たすなど今季絶好調の黒澤琢弥。第1レースでは、常に星野一義の姿をバックミラーに映しながら走ることになりました。今シーズン突然フォーミュラからの引退を発表した星野に代わってチーム・インパルのマシンをドライブすることになったのが黒澤であり、彼にとって星野はいわば恩人のようなもの。その星野を抑えて走るのは「複雑な心境だった」とか。
第1レースでは星野を抑えきって優勝を遂げましたが、第2レースでは本山に大きくリードされての2位。ドライバーのシリーズランキングでは本山に8ポイント差をつけてトップに立ってはいるものの、この日のレースを見る限りでは、そのアドバンテージは必ずしも大きいものではないようです。
これまで優勝こそ無かったものの、第3戦から第6戦まで4位、2位、3位、3位と重ねてシリーズランキングトップに立っていた本山哲(もとやま さとし)。プリメーラというマシン自体が優れた性能を持っていることは疑いもない事実ですが、併せてこの本山という選手に速さと確実さが出てきたということを大きく評価しなければならないでしょう。
第2レースでは念願の初勝利を手にすることができましたが、第1レースのトラブルさえなければ、ひょっとすると本山の2連勝という結果に終わったかもしれません。まあ、逆に2戦ともリタイアの可能性だってあったわけですから、「結果がすべて」ということになってしまうんですけどね。
第1レースは予選9位からスタートして徐々に順位を上げ、最終的には3位へ。そして第2レースでは予選6位から一気に3番手へジャンプアップして、その後道上、中子のアコード勢の追撃を必死でかわして3位を死守、と全く対照的なレース運びながらともに表彰台の一角を占めたのがアドバンチームのエースとなった影山正美でした。
第2レース終了後、インタビューで「後ろから道上が何回もぶつけてきたからつい意地になって無理なブロックをしてしまった」と答えていましたが、後の報道などを見ていると後続の選手からは「一周のラップタイムが違いすぎるのに、あまりにもひどいブロックだった。」という声もあがっていたとか。
でも、後ろのドライバーが道上じゃなくてアイルトン・セナや中嶋悟だったら、正美のブロックぐらい簡単に抜き去っていただろうと思うから、この喧嘩はちょっと道上に分が悪いかな?
ホンダから発売予定の新型スポーツカー・・・ではなくて、小さい子供ならみんな知ってるミニ四駆。
今年のゴールデンウィークに鈴鹿サーキットで行われたミニ四駆のイベントで初めてお披露目された、「実際に走る実物大のミニ四駆」ガンブラスターXTOです。今回のレースでは、イベントの間にコース走行を披露していましたが、意外にも野太い排気音を響かせながらそれなりの迫力を漂わせていました。ちなみに、制作費は約1,000万円だそうです。
Drivers, Drivers
ピットウォークの最中に、ファンからの求めに応じてサインをする星野一義。先日フォーミュラ・ニッポンからの引退を発表しましたが、JTCCではまだまだ元気な走りを見せてくれています。
前戦の結果に応じてウェイトハンデを課せられるのがこのシリーズの特徴となっていますが、前回の菅生(宮城県)でのレースで2位(ハンデ20Kg)、1位(同30Kg)と好結果を残した星野選手は、第1レースで50Kgというハンデを背負ってスタートすることになるため、レース前は「4位になったらハンデが10Kg減らされるから、今回のレースは2戦とも4位になってチャンピオンシップポイントを稼ぐことを目指す」と言っていましたが、結局レースになればそんなことはおかまいなしの激しい走りで2位を獲得、さらにハンデを規定上限の70Kgまで積み増しされることになりました。
第2レースの前には「アコードが圧倒的に速いと思っていたから、まさか自分が一番最初に70Kgを積むことになるとは思わなかったよ」と苦笑いしつつ、「でも、ハンデが大きいということはそれだけ成績がいいということだから、名誉なことだと思って走るようにするよ。」と語っていました。さすがにこのウェイトは厳しかったようで、前半はアコードの道上を抜き去るほどの激しい走りを見せましたが、後半はタイヤが消耗したのか徐々に速さを失い6位でゴールしました。
このレースが終われば、翌月曜日の朝の便でフランスへ向かい、休む間もなくル・マン24時間レースへとチャレンジすることになっており、「日本一速い男」はとても49歳とは思えないタフさを見せています。
今季、何かがふっきれたような速さを見せている黒澤琢弥。父が元トヨタのワークスドライバー黒澤元治氏であるという環境のもとで育った割には、レースの世界に入ったのが20歳を越えてからという「遅咲き」のドライバー。
今年はチーム(PIAA NAKAJIMA)の方針でフォーミュラには若手を起用するということになり、JTCCに専念する予定でしたが、星野一義の突然の引退宣言により、星野のチームからフォーミュラ・ニッポンに出場することとなり、第3戦で早くも優勝を果たしました。
JTCCではTIサーキットでの第3戦と今回の第7戦で優勝、そのほかのレースでも着実にポイントを挙げ、第7戦でリタイアしてポイントを挙げられなかった本山に代わってシリーズランキングトップに躍り出ました。
ホンダ陣営随一の「ハコ使い」といわれる中子修。今回のレースから待望の新型アコード3Xが実戦投入されましたが、「どうもコーナリングの感じが良くない」と納得が行かない様子。
インタビュアーの「熟成が進んでセッティングが決まってくると速くなるんじゃないですか?」という問いかけにも、「クルマの善し悪しは最初の第一印象で決まるから、それでいい感じがなかったらどんなにいじっても根本的に良くなることはない」と辛辣な答え。
そのもやもやを表すかのように、第7戦4位、第8戦5位と、中子にとってはかなり不満の残る結果となりました。職人には、やはり職人の技に応えられる道具が必要ということでしょうか。
昨年JACCSカラーのマシンを走らせていた服部尚貴がアメリカへ渡ってインディカーレースへの挑戦を行うことになったので、代わってこのマシンを託されたのが道上龍(みちがみ りょう)です。
1973年生まれの24歳で、FJ1600、F3と順調にステップアップしてきましたが、今年はホンダの準ワークスとも言える体制で、「違いがわかる男」由良拓也率いるムーンクラフトチームからJTCCに参戦しています。
個人的には、FJ1600時代から注目していた選手で、ゆくゆくは高木虎之介とともに日本レース界に「龍・虎」の時代を築いて欲しいと思っているのですが、道上選手がトップフォーミュラへ上り詰めるためにはもう少し試練が必要のようです。
今回のレースでも、「速さ」はあるものの、追い抜きをはじめとするレースの駆け引きなどの面ではもう少し「うまさ」を身につけることが必要であるように思われました。
一時は、フォーミュラ、ツーリングカー、耐久と国内のあらゆるカテゴリーで大活躍をしていた「ウルトラ秀樹」こと岡田秀樹選手。
「昔は暴走族だった」と語っていましたが、レースに出場するための資金を稼ぐためにイスラエルまで出稼ぎに行ったというエピソードが物語るように意外と苦労人です(結局、出稼ぎ中にレースを戦うための費用が高騰してしまって手持ちの資金では参戦できないと判ると、そのほとんどが飲み代で消えてしまったという後日談もあるようですが(^^;)。
黒澤、中子、道上に続く第4のアコードを駆るが、若干マシンの能力に差があるようで、「どうも最終コーナーがしっくり来ない」と言う道上に、「お前は何も判っていない。それでも他のマシンでは追いつけないんだから、贅沢を言うもんじゃない」と、半分笑いながら、半分マジで言っていました。
各チームが、それぞれのメーカーの威信を懸けた最新鋭のマシンを走らせている中にあって、ただ一人カローラを走らせているのがこの人、松永雅博。オーバーフェンダーと大きなウィングを装着し、派手なオレンジのカラーに身をつつんだカローラは、「これこそツーリングカーレース」と思わせます。とはいえ、アコード、エクシブといった各社の代表車種と比べるとカローラは圧倒的に「大衆車」の雰囲気を漂わせています。このマシンがエクシブと並走しているところを見ると、つい「がんばれ、カローラ」と思ってしまうのは私だけではないはずです。
ちなみに、この松永選手の奥さんは、「日本一速い女性タレント」の三原じゅん子さん※なのです。
※2010年から参議院議員。松永氏とは1999年5月に離婚。
上記で「実際に走る実物大のミニ四駆」として紹介されているガンブラスターXTOは1997年7月に公開された(このレースの時点ではまだ公開前)アニメ映画「爆走兄弟レッツ&ゴー!!WGP 暴走ミニ四駆大追跡!」に登場する主役マシンです。今回鈴鹿サーキットに実車が登場したのはこのアニメ映画のプロモーションのためだったようですが、同時上映された実写短編映画「ミニ四ファイター超速プロジェクト スイッチ・オン」にはこの車両が実際に鈴鹿サーキットを走行している際の映像が使用されており、映画に登場したマシンのお披露目でもあったと言うことができます。
ちなみに、2018年頃の「ミニ四駆[タミヤ公式]」アカウントのツイートによれば、このマシンは現在も岡山おもちゃ王国で保管されているようです(このツイートでは1998年製作となっていますが、おそらく1997年製作の誤りと思われます)。
ミニ四駆【タミヤ公式】🏁 on Twitter: "1998年に製作された実車版『ガンブラスターXTO』です🏁 現在は岡山おもちゃ王国に展示されています👍🏻⭐️ https://t.co/IN9bBWnNLK #mini4wd… "
上記で道上龍選手を紹介した記事に「『違いがわかる男』由良拓也率いるムーンクラフトチーム」という記述がありますが、これは今となっては意味のわかりにくい表現になってしまっていると思います。
「違いがわかる男」というのは、ネスレ日本(1994年まではネッスル日本)のTVCMで使われていたフレーズです。同社では1970年から継続的に各界の著名人を起用したTVCMを大量に放映していましたが、その際に必ず「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」というナレーションが付けられていたことから、このCMに起用された人々は必ずと言ってよいほど「違いがわかる男」という枕詞を冠して語られるようになったのです。
由良拓也(ゆら たくや)氏は高専時代からレーシングカーの製作に携わっており、後に創設したレーシングカーデザイン会社「ムーンクラフト」から生み出された作品群は、特に空気力学的特性に優れたマシンでありながらも、流麗かつ優美なフォルムを有していることが大きな特徴でした。
そんな由良拓也氏がゴールドブレンドの「違いがわかる男」としてCMに登場したのは1984年のことです。この時期はまだ日本にF1ブームが到来する前(鈴鹿サーキットでの最初のF1開催は1987年)でしたが、その前年の1983年から中嶋悟選手がロータスチームに所属してF1に参戦しており、徐々にメディアもモータースポーツに注目し始めていたところでした(由良氏とともに中嶋選手が登場するバージョンのCMもありしまた)。また、同じく1983年には由良氏がデザインしたマツダ・717Cというマシンがル・マン24時間レースで日本車初のクラス優勝(グループCジュニアクラス優勝、総合10位)を遂げたということも大きな追い風となっていたことでしょう。
下記のサイトは智代ラプターさんという方の個人ブログですが、このCM出演に関する由良氏との質疑応答が掲載されていますので、興味のある方はこちらもぜひご覧ください。