「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。
今回の記事は1998年3月に鈴鹿サーキットで開催された「全日本GT選手権シリーズ第1戦 鈴鹿GT 300Km」の話題です。
全日本GT選手権については、1996年に開催された「'96鈴鹿GT300Kmレース」の項で詳述しているとおり、市販されている高性能スポーツカーをベースにして大幅な改造を加えたレース専用車両(GTカー)で争われるレースです。
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市販車両をベースにしていますので、このレースでの活躍が市販車のイメージアップに大きく貢献することから、自動車メーカー各社がおおいに力を入れているジャンルでもあります。この年は、トヨタ、ホンダ、ニッサンの3社がそれぞれスープラ、NSX、スカイラインGTRという看板スポーツカーの名誉をかけた全力の戦いが繰り広げられました。
また、この日はサポートレースとして全日本フォーミュラ3(F3)選手権シリーズ第1戦も開催されており、将来を嘱望されるドライバーが多数出場していました。後段では、この日の出場選手の中から後年脚光を浴びることとなる2選手を紹介します。
それでは、レースの模様をご覧ください。
AUTOBACS CUP
全日本GT選手権シリーズ第1戦
1998 SUZUKA GT 300Km
NSX速し! しかし、優勝はGTRに!
長野冬季オリンピック、パラリンピックと、今年の冬の日本列島は熱いスポーツの感動に包まれました。そして巡り来た春、鈴鹿サーキットではいよいよ今年のレースシーズンの幕開けとなるレースが開催されました。
今シーズン最初の全日本選手権レースとなったのは、ホンダNSX、日産スカイラインGTR、トヨタ・スープラなどのスポーツカーによって争われるGT選手権シリーズです。このレースの魅力は、なんといっても私たちが普段町の中でしばしば見かけるような、あるいは場合によっては自分がマイカーとして利用しているような、そんな親しみの持てる自動車が想像を絶するスピードでサーキットを駆けめぐる迫力にあります。そして、メーカーとしても自社のスポーツカーのイメージを高めるために、社命をかけて自慢のマシン、選りすぐりのドライバーをこのレースに投入するのです。特に今年のレースはホンダが相当に力を入れていますので、これまでの日産、トヨタとともに、壮絶な三つ巴の熱戦が期待されます。
3月21日の土曜日に行われた予選では、NSXがトップスリーを独占、4位にGTR、5位にスープラが入り、6位にもまたNSXが来るという状態で、NSXが圧倒的な速さを見せつけた結果になりました。
そして、22日の日曜日、いよいよ300Km先のゴールを目指して39台のマシンがスタートをきりました。序盤は、飯田章の駆るRAYBRIG NSXが終始リードし、その後方からMobil1 NSXのトム・コロネルが追い上げるという展開。予選3位につけたTAKATA童夢無限NSXの山本勝巳は、スタートのタイミングを誤り、12番手までドロップ、代わってペンズオイル・ニスモGTRの影山正美が3位に上がりましたが、2周目にはすぐにFKマッシモ・スープラの竹内浩典が3位を奪い取ります。
その後、12周目には「日本一速い男」星野一義がドライブするカルソニック・スカイラインが3位に上がるという混戦模様でしたが、相変わらずトップ2は2台のNSXが圧倒的な強さで守り続けました。
レースはそのまま中盤を迎え、RAYBRIGは高橋国光に、そしてMobil1は山西康司にドライバーを交代します。レース活動歴40年、今年で58歳を迎えた高橋国光と、若干20歳、中嶋悟の秘蔵っ子である山西康司とのバトルが期待されましたが、今日の国サンは絶好調、スポーツカーレースは始めてとはいえ、鈴鹿では非凡な速さを見せる山西よりも1~2秒速いラップタイムを刻み、着々と勝利にむけて周回を重ねていきます。
そんな上位陣に思いも寄らぬ波乱が生じたのは、レースも残り6周となった45周目、まず山西が黄旗提示区間で追い越しをしたとして10秒間のピットストップが命ぜられました。ピットイン、ピットアウトのロスを含めると所要時間は約30秒、山西の直後で3位につけていたエリック・コマスのペンズオイル・ニスモGTRとはそれでも約9秒の差があるという計算だったのですが、焦ってピットアウトした山西はなんと第2コーナーで痛恨のスピン。これでコマスは悠々と2位の座を手に入れることになりました。
これでいよいよレースも終了かと思ったら、実は最大のドラマがその後にまっていたのです。46周目のホームストレートに帰ってきた高橋国光のマシンが突如スローダウン。そのままピット前方にストップしてしまい、この結果、上位2車のトラブルに助けられたニスモGTRが初戦を制しました。
2位にはスピンから立ち直った山西のNSX、そして3位には14位からスタートしたデンソー・サード・スープラの土屋圭市、谷川達也組が入りました。
順位 | ドライバー | チーム マシン |
1位 | 影山正美 エリック・コマス |
NISMO ペンズオイル・ニスモGTR |
2位 | トム・コロネル 山西康司 |
Mobil1 NAKAJIMA RACING Mobil1 NSX |
3位 | 谷川達也 土屋圭市 |
TOYOTA TEAM SARD デンソー・サード・スープラGT |
いよいよシーズン到来。スターティンググリッドには、GT500クラスに20台、GT300クラスに19台、合計39台のマシンが並びました。
車種としては、GT500クラスではNSX、スカイラインGTR、スープラ、バイパー、ディアブロ、ポルシェ993の各車が、またGT300クラスではRX-7、ポルシェ、シルビア、ユーノスロードスター、BMW、MR2、キャバリエ、FTO、フェラーリF355、インプレッサなど、バラエティに富んだ顔ぶれが見受けられました。
後方に見える白い斜面は、今シーズンから鈴鹿サーキットに登場したスノーボードゲレンデ。レースを見ながらスノーボードが楽しめる場所というのは、世界中でもここだけではないでしょうか。
ヘアピンコーナーで激しいバトルを繰り広げるARTAスカイライン(本山哲)とカストロール・セルモ・スープラ(関谷正徳)、5ZIGEN SUPRA(マーク・グーセン)。
結局、5ZIGEN SUPRAが4位、カストロール・セルモ・スープラが6位、ARTAスカイラインが23位という結果に終わりましたが、この3車の戦いはレース序盤をおおいに盛り上げてくれました。
ヘアピンコーナーを立ち上がるユニシアジェックス・スカイライン(長谷見昌弘)、デンソー・サード・スープラGT(谷川達也)、ナインテンPCJポルシェ(高橋規一)。
時速80Kmぐらいまで減速し、そこからフルスロットルで猛然と加速していく各マシン達。そのパワーによってタイヤは路面に黒々とブラックマークを残して行きます。
58歳(!)という年齢を微塵も感じさせない驚異的な速さをみせる高橋国光選手駆るNSX。昨年まではスカイライン、スープラに速さでは届かなかったNSXですが、今年はホンダが本気で「勝ち」にこだわって取り組んだことによって、圧倒的なスピードを手に入れたようです。
残念ながら、残り5周になった時点で、ギヤボックスが突然壊れ、無念のリタイヤとなりましたが、今回のレースの主役は間違いなくこのRAYBRIG NSXと高橋国光であったと言えるでしょう。
俳優、歌手でありながら、国内トップクラスのレーシングドライバーに成長した近藤真彦。今回は青木孝行選手とともにGT300クラスにザナヴィ・シルビアを駆って参戦し、決勝13位、クラス4位という見事な成績を収めました。
マッチはまた、同じ日に開催されたF3レースにも「近藤真彦レーシングプロジェクト」として歌川拓、ルベン・デルフラー両選手を参戦させています。両選手とも途中リタイヤということで十分な結果は残せませんでしたが、特に歌川選手はなかなか印象的な速さを見せてくれました。
自らも参戦するとともに、こうして若手(歌川選手25歳、デルフラー選手21歳)を育成するなど、現在のレース界に近藤選手が欠かせない人材の一人であるということは疑いも無い事実です。
通称「ドリキン(ドリフト・キング)」と呼ばれ、コーナーでタイヤを派手に滑らせるパフォーマンスを見せるとともに、FMラジオでレギュラー番組を持ち、若者に圧倒的な人気を誇る土屋圭市。
全日本GTへは、サードチームからスープラを駆っての出場ですが、トヨタのエースチームとしてはなんといってもトムスの2台(関谷正徳、ノルベルト・フォンタナ組、鈴木利男、ケルヴィン・バート組)が一番手で、サードは二番手以降のチームであるという印象は否めませんでした。
しかし、いざ蓋を開けてみると、デンソー・サード・スープラは14番手スタートから周回ごとに順位を上げ、46周目にはNSX、スカイラインの相次ぐ脱落にも助けられ、終わってみればトヨタ勢トップの3位表彰台。「ざまあみろ!」というドリキンの笑顔が目に浮かぶような、最高の結果を見せてくれました。
ル・マン24時間レースに出場したポルシェ911GT1を彷彿させるような白にMobil1のデザインをまとっているのは、中嶋レーシングのNSX。ドライブするのは、F3世界一決定戦とも言える昨年のマカオGPを制したトム・コロネルと、F1にステップアップした高木虎之介に続く日本人若手ドライバーのホープとして中嶋悟が期待をかける山西康司。
2人とも終始2位をキープして十分な速さを見せていましたが、最後になって山西が黄旗無視、単独スピンと2度のミスを犯したことによって、優勝のチャンスを逃してしまいました。山西は、「とりあえず最初のレースで2位になれたということは嬉しい」とインタビューに答えていましたが、トムは「勝てるチャンスがあったのに残念だ。次はペンズオイルには負けない。」と悔しがっていました。
そういえば、優勝したスカイラインのスポンサーはペンズオイル。同じくオイルのブランドであるMobil1のスポンサーカラーをまとって走る中嶋レーシングのドライバーとしては、「なんとしてもペンズオイルには負けられない」という気持ちになるのでしょうか。
世界でも有数の高速コーナーとして有名な鈴鹿サーキットの130Rを疾走するARTAスカイライン。ドライバーの度胸が試されるコーナーです。
ARTAとは、Autobacs Racing Team Aguriの略で、F1グランプリで現在のところ日本人最高位である3位入賞を果たした経験を持つ鈴木亜久里が、世界に通用する日本人F1ドライバーの育成と日本のモータースポーツ全体の発展を目指して設立されたプロジェクトです。亜久里自身が全国から一般公募によりドライバーの選抜を行い、ここで認められたドライバーは、それぞれフォーミュラ・ニッポン、GT選手権、F3などに参戦するチャンスを与えられます。そこで自分の実力を十分にアピールできれば、F1への道が開けるようになるということで、日本のモータースポーツシーンでは画期的なプロジェクトです。
今年は初年度ということで、ARTAからGT選手権に参戦するのは本山哲と土屋武士の二人。本山は速いことは速いのですが、どうも、もう一つインパクトのある結果を出し損ねているという印象が強いドライバーです。土屋武士は、昨年の全日本F3選手権3位の実績を持っており、特別な速さを持つというのではないものの、安定してなおかつ速いというドライバーです。
さて、この2人が今季は順調な成長を見せてF1への階段を上っていくのでしょうか。それとも、全国で開催されているARTAのオーディションを突破した無名の若手ドライバーが彼らを一気に飛び越えていくのでしょうか。ここしばらく、その動きから目が離せないチームです。
正直に言って「転がり込んだ」という感じの優勝を手にしたペンズオイル・ニスモGTR。ゴールした後、コース上に車を止めて、エリック・コマス(ヘルメットを被ったドライバー)がチームメイトの影山正美やスタッフと喜びを分かち合います。
カーナンバー23と言えば、2(に)3(さん)ということで、伝統的にニッサンのエースドライバーが付けるナンバーです。星野一義、黒沢琢弥、鈴木亜久里、影山正彦(正美の実兄)らそうそうたる顔ぶれがそろう日産の契約ドライバーの中でエースの座を与えられた影山正美は、ニスモ(日産・モータースポーツ・インターナショナル)による参戦は初めてではあるものの、結果を出すことが義務づけられているという体制の中で、初戦から優勝という結果が残せたことをおおいに喜んでいました。
でも、今回のレース展開を見れば、GTRがNSXを上回るためには、今後相当のスピードで開発を進めなければならないでしょう。ある意味で、これから次のレースまでの間は2人のドライバーの開発能力が問われることになると言えましょう。
今回の表彰台は、ニッサン・スカイラインGTR(影山正美、エリック・コマス)、ホンダNSX(トム・コロネル、山西康司)、トヨタ・スープラ(土屋圭市、谷川達也)とメーカー3社のチームが仲良く並ぶ結果となりました。
思わぬ勝利を純粋に喜ぶニッサンの2人、目前に転がっていた勝利を逃し、残念な2位に終わったホンダの2人、感覚的にはワークスを打ち破ったプライベートという印象の強いスープラの2人、とそれぞれの思いは様々ですが、とりあえず今季最初の全日本選手権の表彰台はこうした結果になりました。さて、シーズンが進むに従ってこの表彰台の風景はどう変わっていくのでしょうか。
全日本フォーミュラ3選手権シリーズ第1戦
F1を頂点とするフォーミュラカーレースの底辺に位置するF3選手権。ここで才能を見せることができれば、フォーミュラ・ニッポンへ、そしてF1へという道が開かれるかも知れません。
今年は、昨年のシリーズトップ4であるトム・コロネル、立川祐路、土屋武士、脇坂薫一がフォーミュラ・ニッポンやGT選手権などにステップアップを果たしたことによって大幅な顔ぶれの一新が行われました。
その中で、最も観客席を沸かせたドライバーがこの人、松田次生(まつだ つぎお)です。鈴鹿サーキットが主宰するレーシングスクール「SRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ)」の卒業生のうち、成績優秀者に与えられるスカラシップによって中嶋レーシングから参戦する松田は、鈴鹿サーキットは走り込んでいるものの、4輪ではこれが初めてというレースで、いきなり予選2位、最前列のポジションを獲得して、まず関係者を驚かせました。
ところが、スタートのランプが点灯すると、松田はエンジンをストールさせるという大失敗。かろうじてエンジンの再始動に成功し、スタートはできたものの、順位は20位前後、トップを追うにはあまりにも不利なポジションとなってしまいます。しかし、ここからが松田の非凡さを見せる最大のショーとなりました。周回を重ねるたびに前走車を抜き続け、5周目には10位、10周目には7位にまで追い上げます。そして、上位のトラブルにも助けられ6位に上がってからは前を行くセバスチャン・マルティーノと激しいバトルを繰り広げ始めました。スピードで上回る松田は、各コーナーでしきりにマルティーノを攻めたてますが、マルティーノはなかなか隙を見せません。そして迎えた17周目、最終ラップ、最後のチャンスはここしかないというゴール直前のシケイン進入競争で松田はマルティーノのインを突き、見事に順位を上げてチェッカーを受けました。
レース中、激しくマシンをスライドさせて前走車を追う迫力と、速く走りながらもミスを犯さず最後のワンチャンスを生かして順位を上げるというクレバーさを見せつけた松田選手の走りは、今までの日本人ドライバーには見られなかったタイプのように思われます。弱冠18歳という若さともあいまって、ファンの期待を膨らませてくれる新しいドライバーがまた一人登場しました。
昨年、トム・コロネルを擁して全日本F3選手権を席巻したトムスチームが、今季の必勝を期してイギリスから呼び寄せたドライバーがピーター・ダンブレック。昨年はイギリスF3選手権を戦い、ルーキーながら1勝をあげ、シリーズ3位に輝いたドライバーです。
プレスからは「優勝請負人」と呼ばれ、それなりにプレッシャーもあったはずですが、終わってみれば予選、決勝とも他のドライバーを寄せ付けない圧勝状態。レース中も2位を行く伊藤大輔が必死に追ったのですが、残念ながら後方を脅かすというところまでは行きませんでした。勝利者インタビューで「すぐに鈴鹿サーキットの走り方を学ぶことができた」と答えるダンプレックに、周囲の観客から「おいおい、鈴鹿ってそんなに簡単なコースじゃないよな」という驚きの声が挙がっていました。
さて、今年はダンブレックが昨年のコロネルのようにぶっちぎりのチャンピオンを決定するのか、それとも松田や伊藤、さらには佐藤琢磨、金石年弘ら今年のSRS-F卒業生や平野功、加藤寛樹、歌川拓、黒沢治樹らの実力派ドライバーが雪辱を期すのか、今後の展開が楽しみです。
A Driver's Portrait
中嶋悟の秘蔵っ子、山西康司。一昨年のF3で衝撃的なデビューを果たしたものの、高木虎之介のチームメイトとして戦った昨年のフォーミュラ・ニッポンでは目立った戦績を残せず、「体力不足じゃないの」という声も聞かれました。
今年は、昨年のF3チャンピオンのトム・コロネルがチームメイトで、フォーミュラだけではなく、初めてのスポーツカーレースにも挑戦です。結果は、自らのミスもあって悔しい2位。とりあえず満足という本人のコメントではありましたが、超ベテランの高橋国光にラップタイムで1秒近く差をつけられるなど、必ずしも才能の高さを見せつけるというようなレース展開にはなりませんでした。
ファンの期待としては、是非とも今シーズンはGTとフォーミュラ・ニッポンで大活躍を見せてほしいと願うのですが、果たしてそれはかなうのでしょうか。
F3選手権の項でトムスチームのドライバーとして紹介したピーター・ダンブレック選手。私としてはその名前を強く記憶しているのですが、資料を見ると、この翌年にチーム・レイジュンからフォーミュラ・ニッポンに出場した後、日本とヨーロッパのツーリングカーレースを主戦場として長くレース活動を行ってはいるものの、それほど際立った戦績を挙げているわけではありません。
「あれ? なんで名前を良く覚えているんだろう?」ともう少し調べてみると、分かりました。ピーター・ダンブレックは、フォーミュラ・ニッポンにも出場していた1999年にメルセデスチームからル・マン24時間レースに初出場したのですが、この決勝レースにおいて彼が操縦していたメルセデス・ベンツ・CLRがストレートを走行中に急に空中に舞い上がり、空中回転しながら路面に叩きつけられるという大事故に遭ったのです。幸いにしてピーターは軽症で済んだのですが、この事故の模様は世界中にTV中継されており、多くのモータースポーツファンに衝撃を与えました。
実は、メルセデス・ベンツ・CLRは以前のレースや今回のル・マン24時間レースの予選でも類似の事故を起こしており、詳細な調査結果を待つまでもなく、この事故の原因は最高速を重視するために車体を極限まで低くしたマシンの設計自体にあるものと考えられました。CLRは、あまりにも低いその車体のために路面の凹凸の影響を緩和することを目的としたサスペンションの可動範囲が非常に狭く、以前から走行中の車体の上下動が激しいことが指摘されていました。この結果、高速で走行中に路面の凹凸によって車体が前上がりの体勢になった瞬間に大きな浮力が発生して空中に舞い上がってしまったということのようです。
この車体の問題については決勝レース前からドライバーらが強く指摘していたにも関わらず若干の修正のみで決勝に出場したことについてメルセデスチームは強い批判にさらされることになりました。実は、メルセデスは1955年のル・マン24時間レースでもピエール・ルヴェーが操縦するメルセデス・ベンツ・300SLRが急な進路変更をした前走車を避けきれずに追突して宙に舞い、スタンドの観客83名を巻き込む大事故(モータースポーツ史上最悪の惨事とされる)を巻き起こしたことがあり、これ以後約30年にわたって同社はレース活動を休止することになったのです。
1955年のル・マン24時間レース - Wikipedia
こうした経緯もあり、1998年の事故の後、メルセデスはル・マン24時間レースから撤退することになりました。これ以後、メルセデスの市販車を用いてル・マンに出場したチームはありますが、いわゆるワークスチームはル・マンには一切出場していません。
ドライバーのピーター・ダンブレックには何の落ち度もないのですが、こうした歴史に残る大事故の当事者として彼の名は強くモータースポーツファンには記憶されることとなったのでした。
もう一人、今回のF3レースで注目しておかなければならない人物がいます。
ダンブレックの項の後ろの方で名前だけ紹介しているのですが、このレースで初めてF3に挑戦したのが佐藤琢磨選手です。
今となっては、2002年から2008年にかけて史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとしてジョーダン、B.A.R.、スーパーアグリに所属し、その後はアメリカに渡ってインディカーシリーズに参戦。「世界三大レース」の一つであるインディ500マイルレースで2度の優勝(2017、2020)を果たすという世界的トップレーサーになった佐藤選手ですが、今回のレースでは無限×童夢プロジェクトから参戦し、予選では6位と気を吐いたものの、残念ながら決勝では最下位に沈んでしまいました(レース内容については記憶がないのですが、下記のリザルトを見るとトラブルを抱えて周回遅れになっていたのでしょうか)。
戸田レーシング/98'F3リザルト
佐藤選手は、この次戦にあたる第2戦(4/18~19 筑波サーキット)にもエントリーしており、公式予選では15位につけていましたが、翌日の決勝に出場することなく撤退し、これ以後は活動の舞台をイギリスへ移すことになりました。
JF3-Rd2:筑波F3予選結果 - モータースポーツフォーラム
このため、2002年にF1ドライバーとして鈴鹿に戻ってくるまで、佐藤選手が日本国内の公式レースの決勝に出場したのはこの1998全日本F3選手権第1戦のみだったのです。
後に、佐藤選手がレースの舞台を日本からイギリスへ移したのは交通違反により運転免許の取消処分を受けたことが原因(日本では、有効な運転免許を所持していないと公式戦の出場資格が無い)であったことが明らかになりましたが、結果的にはこの時に渡英したことがF1への道を開くことになったわけで、まさに「人間万事塞翁が馬」であります。