生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

’99全日本GT選手権第1戦 鈴鹿GT300km(1999.3.21)

 「モータースポーツ回顧録」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していたモータースポーツ関連の記事を再掲していきます。

 今回の記事は1999年3月に鈴鹿サーキットで開催された「全日本GT選手権 第1戦」の話題です。

 全日本GT選手権は、「'96鈴鹿GT300Kmレース」の項で詳述しているとおり、市販されている高性能スポーツカーをベースにして大幅な改造を加えたレース専用車両(GTカー)で争われるレースです。

oishikogennofumotokara.hatenablog.com


 市販車両をベースにしていますので、このレースでの活躍が市販車のイメージアップに大きく貢献することから、自動車メーカー各社がおおいに力を入れているジャンルでもあります。かつてはポルシェマクラーレンといった外国車が圧倒的な強さをみせてこれにニッサンスカイラインGT-Rトヨタスープラなどの国産勢が挑む、という構図だったのですが、後に ニッサン vs トヨタ という二強対決となり、1998年からはこれにホンダNSXが加わり、三つ巴の対決となりました。
 1998年の開幕戦の様子はこのブログでも紹介したところですが、予選、決勝ともにNSXが圧倒的な強さをみせたものの、勝利はスカイラインGT-Rを駆る影山正美エリック・コマス組が手にしました。
’98全日本GT選手権第1戦 鈴鹿GT 300Km(1998.3.22) - 生石高原の麓から

 結果的に、この「速いNSX、強いスカイライン」という構図はシーズン終了まで続くことになり、この年開催された全6戦悪天候のため中止された第2戦とシリーズランキング外の最終戦オールスターを除く)中、NSXは4勝を挙げたものの、勝利が3つのチームにわたった(第4戦:山西康司、トム・コロネル、第5戦:中子修、道上龍、第6戦:高橋国光、飯田章、第7戦:中子修、道上龍ためにポイントが分散し、シリーズチャンピオンはスカイラインGT-Rで2勝(第1戦、第3戦)を挙げた影山正美エリック・コマス組のペンズオイル・ニスモGTRが獲得することになりました。
1998年の全日本GT選手権 - Wikipedia

 こうした経緯を経て迎えた1999年シーズン。ファンの興味は今年こそNSX勢がシリーズチャンピオンを獲得するのか、あるいはスカイラインGT-Rがこれを返り討って連覇を果たすのか、それとも両者の間隙を縫ってスープラが王座につくのか、という点に注がれることとなりました。

 それでは、こうした背景を踏まえて下記の記事をご覧ください。

 

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AUTOBACS CUP
全日本GT選手権シリーズ第1戦
1999 SUZUKA GT 300Km

 

 

雨中の大激戦を制したのはNSX

 

 桜前線の便りも聞こえて来るというのに、時ならぬ寒波の来襲に日本列島が震え上がったお彼岸の週末、いよいよ日本のレースシーズンも幕開けを迎えました。

 2週間前に、期待の新星であった舘信吾選手をテスト中の事故で失うという悲しいニュースが突然飛び込んできて、我々レースファンは大きな驚きとともに深い悲しみを受けることとなりましたが、それでも戦いは休むことなく続けられています。この悲しみを乗り越えて我々が更に日本のレース界を盛り立てていくことこそが舘選手、そして日本レース界の立役者の一人であり舘選手の父でもある舘信秀(株式会社トムス会長)の意志に沿ったものであるに違いないと私は考えています。

 さて、悲しみの中で迎えた第一戦。昨年は速さでは圧倒的なNSX勢がトラブルに泣き、結果的にチャンピオンはスカイラインGTRの頭上に輝いたのですが、今年は雪辱を期すNSXが十分な信頼性を身に付け、打倒GTRに燃えてます。さらに、2003年からF1へ進出することを発表したトヨタが、元F1ドライバーの片山右京をドライバーに迎え、スープラの戦闘力を格段にアップさせて虎視眈々とチャンピオンを狙っています。この3大メーカーの激突がなんといっても今シーズンのGT選手権の大きな魅力となりました。

 決勝当日は朝から雨が降ったりやんだりの天候で、GTクラスの決勝が始まった頃には本降りの雨となってしまいました。すべりやすくなった路面の影響で、レースは序盤からコースアウトする車が続出し、波乱の幕開けとなりました。しかし、観客としてはそのお陰で最初から最後までスリリングな展開を楽しむことができ、約2時間のレース中、本当に退屈しない面白いレースを見ることができました。雨のお陰でマシンの性能差が出なかったということかもしれませんが、今回のレースを見ている限り、今年のGTレースはかなり面白いものになりそうですよ。

 

鈴鹿GT300Km レース結果
 順位  ドライバー チーム
マシン
 1位   脇阪 寿一 
 金石 勝智 
 童夢×無限プロジェクト 
 TAKATA童夢NSX 
 2位   エリック・コマス 
 本山 哲 
 NISMO 
 ペンズオイル・ニスモGTR 
 3位   鈴木 利男 
 片山 右京 
 トヨタカストロール・チーム・トムス 
 カストロール・トムス・スープラ 

 

 

 予選トップタイムを記録し、ポールポジションを獲得したTAKATA童夢NSX(脇坂/金石)ですが、トップでスタートしたものの、序盤でコースアウトを喫して順位を落とします。
 しかし、そこから脇坂寿一が渾身の走りを見せてスカイライン勢2台を相次いで抜き返し、24周目に再びトップに返り咲きました。その直後にドライバー交代を受けた金石勝智が着実にラップを刻んで順位を守りきり優勝を果たし、昨年の最終戦で、トップでチェッカーを受けながらレース後の再車検で失格となってしまった無念を晴らす結果となりました。

 

 昨年のチャンピオンマシンであるペンズオイル・ニスモ・GTR。昨年に引き続いてこのマシンをドライブするエリック・コマスと昨年のフォーミュラ・ニッポン・チャンピオンである本山哲がコンビを組みます。
 前半、TAKATA童夢NSXのミスにも助けられて一時トップを走るものの、レース中のラップタイムはわずかに及ばず、結局2位の座に甘んじることとなりました。正直、本山君がもうちょっとパフォーマンスを見せてくれるかと思ったのですが、見ている方としては若干フラストレーションのたまる結果となりました。


 

 「意外」と言っては失礼か。このレースでこれまでにない速さを見せたのがトヨタスープラ
今年はトヨタが本気を出してマシン開発をしたということで、外見はそれほど変化はないものの、中身は昨年とは全く別物であると言われています。ドライバーも片山右京を迎えて、今年のトヨタはやる気満々です。
 結果的に優勝には手が届かなかったものの、カストロール・チーム・トムスの2台ともほぼノートラブルで完走し3位と4位を占めるという上々の結果となりました。問題は今後のレースで、ドライ路面での速さがどうか、ということになるでしょうか。それとも「ここぞ」という時の一発の速さは、右京の集中力でなんとかカバーしようという戦略なのでしょうか(^^;

 

 

全日本F3選手権シリーズ第1戦


 GT選手権レースと同時に、全日本F3選手権も開幕しました。 昨年は、ピーター・ダンブレックが10戦8勝という圧到的な強さをみせ、その余勢を駆ってF3世界一決定戦とも言うべきマカオ・グランプリまで制覇してしまいましたが、今年はそのダンブレックフォーミュラ・ニッポンにステップアップしたため、全く新たな形でチャンピオン争いが展開されることになりました。 この日の開幕戟では、有力なチャンピオン候補の一人であるダーレン・マニングが予選でぺナルティを受け、14番手に沈むという波乱からスタートしましたが、終わってみれば、繰り上げでポールポジションを獲得した荒聖治(あら せいじ)がトップを一度も譲ることなく見事なポール・トゥ・フィニッシュを決めました。

全日本F3選手権第1戦 レース結果
 順位  ドライバー チーム
マシン
 1位   荒 聖治   TOM'S F399 
 ダラーラF399 3S-GE 
 2位   ワグナー・エブラヒム   戸田無限ホンダF399 
 ダラーラF399 MF204B 
 3位   金石 年弘   ARTA 399 無限 
 ダラーラF399 MF204B 

 

 

 優勝した荒選手(前のマシン)F3のキャリアは昨年のシーズン途中からですが、「世界最強」とさえ言われるトムスチームのワークスドライバーとして迎えられたのですから只者であるはずがありません。1995年以来、開幕戦を制したドライバーが必ずチャンピオンを獲得しているのですが、果たしてそのジンクスは今年も生きているのでしょうか?

 

 荒選手に次ぐ2位表彰台を獲得したのは、 ワグナー・エブラヒム選手(ブラジル)です。昨年、イギリスでフォーミュラ・ボグゾールというレースに参戦していたらしいのですが、詳しい情報は日本に伝わっておらず、場内放送ではしきりに「謎の外国人ドライバー(謎の覆面レーサーじゃあるまいし(^^;)」を連発していました。
 鈴鹿サーキットでの初レースであるのみならず、F3すら初ドライブであるにも関わらず、なみいる強豪を押しのけて2位表彰台を獲得したことは輝かしい才能を予感させるものです。さて、故アイルトン・セナの再来となるのでしょうか?

 

 

 3位表彰台を獲得したのは金石年弘(オレンジのマシン)。今回GTレースで優勝した金石勝智の甥であり、SRS-F鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ)の卒業生であるというレース界のサラブレッドです。
 予選は10位とふるわなかった金石ですが、決勝では最速ラップタイム連発で順位を上げました。レース終盤には、予選トップタイムをマークしながら黄旗追い越しのペナルティで14位に降着されたダーレン・マニング(白のマシン)が鬼気迫る追い上げを見せたため、表彰台の座を巡って金石マニングの激しいバトルが展開されました。
 アウトから最速ラインを狙う金石、インから猛烈な突っ込みを見せるマニングと、2人のバトルは5周にわたって続けられましたが、金石がなんとか押さえきって表彰台の一角を手に入れました。この2人のバトルだけでも今日のレースを見に来た値打ちがあったというものです。

 

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 本文冒頭で述べている舘信吾(たち しんご)選手については、以前紹介した「'97フォーミュラ・ニッポン第10戦 鈴鹿」の記事の後段にも書いてあるとおり、1999年3月11日にTIサーキット英田岡山県で行われていたGTマシンのテスト中に発生した事故により亡くなりました。父である舘信秀氏が創設者であり現在は会長を務めているトムス(TOM'S)では、現在も同社が走らせるレーシングカーには必ず「With Shingo」のステッカーを貼っているとのことです。
’97フォーミュラ・ニッポン第10戦 鈴鹿(1997.11.8~9) - 生石高原の麓から

 

 

 ニッサン vs トヨタ vs ホンダの三つ巴の戦いとなった1999年度の全日本GT選手権ですが、シーズンが終わってみると、チーム選手権TOYOTA Castrol TEAM TOM'S トヨタスープラが、ドライバーズ選手権NISMOニッサンスカイラインGTRに乗るエリック・コマスが獲得し、ホンダNSX勢は 無限×童夢プロジェクト がチーム選手権3位、同チームに所属する脇阪寿一金石勝智がドライバー選手権4位という結果に留まりました。
1999 AUTOBACS CUP GT Championship Round 7 - Race

 苦杯をなめたホンダ勢は翌年一気に反転攻勢をかけ、2000年の全日本GT選手権では 無限×童夢プロジェクト がチーム選手権を、同チームに所属する道上龍がドライバーズ選手権をそれぞれ獲得し、ホンダファンがようやく溜飲を下げることとなったのでした。
全日本GT最終戦、道上/NSXがタイトル獲得 【ニュース】 - webCG

 

 

 今回のF3レースで優勝した荒 聖治(あら せいじ)選手。 残念ながらこの年は今回の第1戦で優勝した後は3位2回、4位1回という成績でシリーズランキング6位にとどまりました。翌年の2000年は優勝こそないもののシリーズランキング3位となり、2001年からフォーミュラ・ニッポンにステップアップしますが、このカテゴリーでは断続的に2008年まで参戦するものの、最終年に1勝を挙げただけであまり芳しい成績を残すことはできませんでした。
 しかし、荒選手スポーツカーレースでその本領を発揮します。2001年にはバイパー チーム・オレカから近藤真彦ニ・アモリムと組んでル・マン24時間レースに初参戦。この年は243周でリタイアとなりますが、翌年からはアウディ・スポーツ・ジャパン・チーム郷から3年連続参戦します。2002年7位荒聖治加藤寛規、ヤニック・ダルマス)、2003年4位荒聖治、ヤン・マグヌッセン、マルコ・ヴェルナー)と徐々に順位を挙げ、2004年には遂に総合優勝を果たします荒聖治トム・クリステンセンリナルドカペッロ。日本人ドライバーがル・マン24時間レースで総合優勝の栄誉を獲得するのは、1995年の関谷正徳マクラーレン F1 GTR ヤニック・ダルマス、J.J.レート)以来の快挙でした。

www.webcg.net

 荒選手は現在も SUPER GT GT300 クラスで現役ドライバーとして活躍しており、2022年シーズンは BMW Team Studie のエースドライバーとして BMW M4GT3 を走らせています。1974年5月生まれということで既に48歳となっているようですが、先日亡くなられた高橋国光さんのように59歳までトップドライバーとして活躍された例もありますので、荒選手には今後ますますの活躍を期待したいものです。
日本初走行のBMW M4 GT3。その印象をドライバー・荒聖治選手にきいてみた【SUPER GT 2022】 | clicccar.com

 

 

 F3レースで荒選手に次ぐ2位を獲得したワグナー・エブラヒム選手。記録によると、日本ではこの年の全日本F3選手権の第1戦から第8戦に参戦したのみですが、上記のとおり第1戦で2位を獲得したのち、第2戦3位、第3戦10位、第4戦4位、第5戦10位、第6戦5位、第7戦8位とかなり着実な成績を残してシリーズランキング8位(全10戦中8戦のみ参戦)を獲得しています。
 本文中でも「謎の外国人ドライバー」と呼ばれていたと書いていますが、結局この後も国際舞台では大きな活躍ができなかったようで、ワグナー・エブラヒム選手に関する日本語の情報はほとんど得られませんでした。しかしながら、 DRIVER DATABASE という英文サイトに同選手のレーシングキャリアが掲載されていましたので、これを見ると日本でのF3参戦後は南米F3選手権(Formula 3 Sudamericana)に参戦しつつ、2001年にはドイツF3選手権にもスポット参戦していたようです。
Wagner Ebrahim | Racing career profile | Driver Database

 その後はスポーツカーレースへの参戦を継続しており、2022年現在では Império Endurance Brasil という耐久レースシリーズに参戦しています。こちらも荒選手同様にフォーミュラカーからスポーツカーにカテゴリーを変えて現在も現役ドライバーとして活躍されている模様です。

www.imperioendurancebrasil.com.br

 

 ワグナー選手を指して場内放送のアナウンサーが発した「謎の外国人ドライバー」というコメント。私の同じような世代の方であれば「ああ、『謎の覆面レーサー』を元ネタにしたイチビリね(^^)」とすぐに反応するところですが、今となってはこの意味がほぼ伝わらなくなってしまっているのではないかと思いますので、野暮を承知で少し解説を。
 「謎の覆面レーサー」とは、1967年から68年にかけてフジテレビ系で放送されたタツノコプロ制作のアニメ「マッハGoGoGo」の登場人物です。
 このアニメは、主人公である三船剛(みふね ごう)が数々の特殊機能(ジャンプ、潜水、ノコギリなど)を備えたスーパーカーマッハ号」で世界各地のレースに挑戦するという物語で、レースの勝利とともにその裏側に隠された陰謀を暴いていくというスパイ物のテイストも盛り込まれた作品です。アメリカでもほぼ同時期に「Speed Racer」というタイトルで放送されて人気を博しており、当時アメリカ在住だったデーモン小暮閣下がこの番組のファンであったというのは有名な話です。
 「謎の覆面レーサー」は正体不明のレーサーとして主人公・の前に現れますが、実は彼はかつて父に勘当されて家を飛び出した兄・研一(けんいち)であり、今は秘密の諜報組織のメンバーとなっていたのでした。謎の覆面レーサーは、が困難に直面したとき、あるときは陰からこっそりと助け、またあるときは対面で直接アドバイスを授けての成長を助けていくのです。
 ちなみに、タツノコプロが運営する「タツノコチャンネル」では「マッハGoGoGo」の謎の覆面レーサー登場回が無料で公開されているようですので、こちらをご覧ください。

www.youtube.com

 たしか、私の記憶の中では、謎の覆面レーサーが乗るレーシングカー「流星号」にはオートマチック・トランスミッション(AT)が搭載されており、それに気づいたが非常に驚く(当時のATは非常に効率が悪く、スピードを競うレーシングカーには不向きとされていた)という場面があったと思うのですが、ネットを探してもあまり情報がなくて確認できていません。もし確認できたらまた追記したいと思います。