生石高原の麓から

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六堰続渠之碑(和歌山市船所)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

 

 今回は和歌山船所(ふなどころ)にある「六堰続渠之碑」を紹介します。

 

 和歌山市船所の和歌山バス水道橋」停留所そばに、「六堰続渠之碑(ろくせきぞっきょのひ)」という碑が建立されています。

 これは、江戸時代、中村成近という人物が17年の歳月をかけて約16kmにわたる農業用水路の延長事業を行ったということを顕彰して建てられたものです。

 元禄の頃(1688 - 1704)、財政難に苦しむ紀州藩は二代藩主徳川光貞(1627 - 1705)の指揮により農政改革に取り組みはじめました。その鍵となったのが紀の川北岸の段丘地帯です。この土地は紀の川に隣接しているにもかかわらず、段丘上に位置していることから紀の川の水を利用することができずに稲作を断念していました。
 この問題を解決したのが禿村(かむろむら 現在の橋本市学文路)に生まれた大畑才蔵(1642 - 1720)でした。彼は、「水盛台(みずもりだい 現在の水準器にあたる)」を用いた精密な測量技術を開発し、工事区間を複数に分けて同時着工することで工期を短縮するなど、当時としては革命的とも思われる方法を駆使して段丘地帯を灌漑する「藤崎井用水」「小田井用水」という長大な用水路を開きました。あわせて、紀の川に連続した直線的な堤防を設けて洪水を防ぎ、それまで遊水地となっていた河原(氾濫原)も水田として利用できるようになりました。
 これにより紀州藩の米の生産量は飛躍的に増大し、藩財政は大きく潤うようになりました。「紀州」と呼ばれるこの大畑才蔵の治水・利水技術は、宝永2年(1705)に第五代紀州藩主となった徳川吉宗に重用され、後に吉宗が八代将軍になると大畑とともに用水開発に取り組んだ井澤弥惣兵衛の手により関東へ、そして全国へと普及していくことになるのです。
大畑才蔵について - 水土里ネット紀の川連合
流れを固定する、紀州流 - 水をつくる歴史 - 国土づくりの歴史 - 大地への刻印 - 水土の礎

 

 ここまでがこの話の前提となります。
 大畑才蔵が開いた藤崎井用水小田井用水は現在の那賀郡、伊都郡一体の灌漑にはおおいに役立ちましたが、現在の和歌山市北部は依然として水不足に苦しんでいました。現在の和歌山市北部には古くから「六箇井(ろっかい)」と呼ばれる用水路があったようで、宝永5年(170年)には大畑才蔵がこれを改修して直川地区まで延長したという記録が残されています。しかしながら、この改修工事をもってしてもそれより下流の楠見・粟・福島・北島・野崎・梶取・狐島・延時・西土入・貴志の10か村を潤すまでには至っていませんでした。


 そこで、これを案じた船所の農民 中村成近が一念発起、六箇井用水路を延長してこれら10か村を潤す灌漑用水路を作ろうと考えたのです。
 彼は、文化2年(1805)に藩の許可を得て六箇井の延長工事に着手し、同年中に5か村の灌漑が実現しました。さらに、文化11年(1814)から文政5年(1822)まで約8年の歳月をかけて現在の和歌山市松江まで用水路を延長し、ついに全長16kmに及ぶ大工事を完成させたのです(取水量が不安定であったため元治元年(1864)楠見信貴により新たな井堰が新設された。これが新六箇井堰であり、その後、何回かの改修を経て平成18年(2006)まで利用されたが、現在はこの機能を紀の川大堰に譲っている。新六箇井堰については、紀の川の流下量を確保するために基礎から上の部分(上部3.6m)が撤去されたが、なお水中にある下部3m部分は存置されている)

 この碑は、中村成近の功績を顕彰するために天保5年(1834年)に建立されたもので、碑文は「紀伊風土記の編纂者として有名な仁井田好古(にいだ こうこ/よしふる)によるものです。この碑は、和歌山市指定文化財にも選ばれています。

 参考に、石碑の横に立てられている説明板の内容をご紹介します。

和歌山市指定文化財(歴史資料)
仁井田好古撰文碑 六堰続渠之碑
昭和63年3月30日指定

 この石碑は、江戸時代の儒学者である仁井田好古の撰文によるもので、文化2年(1805)から文政5年(1822)にかけて行われた紀ノ川北岸農業用水路の開削事業を顕彰したものである。砂岩製で碑の高さは162センチ(総高223センチ)ある。
 仁井田好古(1770~1848)は、紀伊国海部郡加太浦(現在の和歌山市加太)に生まれ のち和歌山藩儒者として出仕した。藩命により「紀伊風土記」の編さんにあたり、天保10年(1829)に全192巻を完成させた。
 この「紀伊風土記」編さんの関連事業として、好古の撰文によって史跡および伝承地の顕彰碑が藩内24箇所に建てられた。和歌山市内には10基が建てられたが、現在は木碑や和歌浦玉津島神社境内にある「奠供山碑(てんぐやまのひ)」など5基が知られているにすぎない。
 これらの碑は歴史顕彰事業の先駆的存在として、また和歌山藩の学術文化施策の一端を示すものとして重要な資料である。
 平成2年3月1日 和歌山市教育委員会