生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

和歌川河川公園(和歌山市宇須)

 「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。

 

 その初回となる今回の記事では、和歌山市内を流れる和歌川沿いに整備された公園「和歌川河川公園」を紹介します。

 

 

 和歌山市中心部を流れる川については、一般的には「内川(うちかわ)」と呼ばれることが多いのですが、実はこの名称は「本川(ありもとがわ)」、「真田堀川(さなだぼりがわ)」、「市堀川しほりかわ)」、「大門川(だいもんがわ)」、「和歌川(わかがわ)」という5本の川の総称であり、実際に「内川」という名前の川があるわけではありません。

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 これらの川は、もともと清流で市民の憩いの場として親しまれていたのですが、沿川地域の都市化が進むに従って水質の悪化が目立ってきました。特に市南部に位置する和歌川の周辺には大正時代以降に製材・皮革・染色・化学・繊維・機械などの工場が次々と立地するようになり、多くの人口を抱える一大工業地帯となったことから、工場排水や家庭下水等の流入先となった和歌川の水質は急速に悪化しました。
 日本中で「公害」の問題が喧伝されるようになった昭和40年代には和歌川の水質悪化もピークに達し、川底には大量のヘドロ(有害物質やプランクトンの死骸などを含む汚泥)が堆積し、悪臭の漂う「死の川」とまで言われるようになります。

 さすがにこれではまずいということで、和歌川を含む内川全体の浄化計画が検討されるようになり、昭和44年には和歌川の川底に溜まったヘドロを浚渫(しゅんせつ)する事業が始まりました。これは、川幅の一部分を矢板護岸で仕切り、そこに浚渫したヘドロを投入して埋め立てを行うもので、川として残された部分にはヘドロの無いきれいな水流を取り戻し、埋め立てられた部分ではヘドロから水を抜いて陸地化し、後に公園として整備していこうとするものでした。

 こうした河川浄化に係る取り組みについては、市民団体「内川をきれいにする会(昭和42年設立)」のWebサイトで写真とともに紹介されていますので、こちらをご覧いただければと思います。
内川の歴史|内川をきれいにする会|和歌山市内を流れる内川をきれいにしよう

 

 このようにして誕生した公園が、現在の和歌川河川公園です。

今では水質も改善され、自然豊かな公園は再び市民に愛される憩いの場を取り戻しました。
公園内には東屋やベンチ、遊具などのほか、テニスコート、児童野球場、サッカー場、ゲートボール場などのスポーツ施設もあります。
和歌川河川公園

 また、2月から3月にかけては赤い寒緋桜、3月から4月にかけてはピンクのソメイヨシノ、白いオオシマザクラなどが次々と咲き、ぼんぼりも設置されて花見の名所となります。

(写真は2015年に撮影したものです)

 

※ワンポイントメモ

 和歌川は、かつて紀の川の本流が蛇行して和歌浦に注いでいた頃の名残であり、本来は北から南へ水が流れていました。しかし、和歌山市内では高低差が非常に少なかったため、潮の満ち引きによって流れの方向が変わるほど緩やかな流れであり、この水流の少なさが水質悪化をもたらす大きな要因ともなっていました。このため、昭和52年に和歌山市塩屋地区に堰が設けられて、これ以降は和歌浦湾側の水をポンプで汲み上げて北側の市堀川へ流し込むようにして人工的に水流を作り出しています。つまり、和歌川の流れは昭和52年を境に「南向き」から「北向き」へと逆転しているのです。

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