「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。
今回は和歌山市黒田にある「太田左近(おおた さこん)像」を紹介します。
JR和歌山駅東口近くにあるこの像は、備中高松城、武州忍城と並び「日本三大水攻め」に数えられる豊臣秀吉の水攻めにより陥落を余儀なくされた太田城の城主・太田左近の像です。
秀吉による紀州攻めについては別項「太田城物語」において詳述しているところですが、天正13年(1585)総勢10万の大軍勢で紀州に攻め込んだ秀吉はわずか5,000余の兵力しか無い太田城をなかなか攻め落とすことができず、遂には力攻めを諦めて「水攻め(城のまわりに水を引き込んで城を孤立させ、補給を断って城兵の飢えを待つ戦法)」によってようやく陥落させることとなりました。
この戦いで秀吉軍は高さ約4~6m、総延長約7kmにも及ぶ壮大な堤防を築造したと言われ、約1か月間の攻防により物心両面で精根尽き果てた太田一党は遂に城を明け渡すことになりました。このとき、降伏の条件として太田城の指導者であった太田左近をはじめとする53名が自刃したと言われています。
太田城物語 ~和歌山市北太田~ - 生石高原の麓から
この像は、こうした太田城の歴史を語り継いでいくために設立された「太田城史跡顕彰保存会」によって平成5年(1993)に建立されたものです。像の横に建てられた説明板には次のような解説が記されています。
太田左近は、天正13年(1585)全国制覇をもくろむ豊臣秀吉に対し、太田城に立てこもり、紀州の土豪を指揮して抵抗したという。一ヶ月に及ぶ水攻めをうけた後、最後はみずからの命を賭して城中の子女の助命を願い城を開城したという。中世紀州の在地土豪の気風を集約した人物といえるであろう
太田城史蹟顕彰保存会の活動については、和歌山市役所のラジオ広報番組「ゲンキ和歌山市」の2018年4月12日放送回において秋月利昭会長(当時)のインタビューが放送されていますので、この内容を引用します。
宮地区の歴史として語り継がれているのが秀吉による太田城水攻め。これを後世に伝えようと活動しているのが「太田城史跡顕彰保存会」です。
まずは会長の秋月利昭(あきづき としあき)さんにお話を伺いました。「昭和43年ごろだったと思います。初代の会長さんが中心となって、太田の霊を慰めるということで
現在に至っています。」地区内の来迎寺(らいこうじ)の北側に小山塚(こやまづか)という記念碑が建てられています。これは、太田城士を偲ぶ記念碑です。
これについて秋月さんは
「昔は、田んぼの隅に2メートルほどの土山があり、小さい頃にはその土山に登って遊んだものです。
その時からこれが太田城に関する塚であるということを聞かされていました。その後、昭和27年に小山塚として石碑を建立しました。」
と話します。「秀吉の三大水攻めのひとつとして、太田の歴史、太田の文化、太田の宝を後世に伝え、残していくのが私たちの使命と考えています。」
と秋月さん。毎年、4月第3日曜日を命日として、太田城址である来迎寺で、午後1時から法要を行い、そのあと、小山塚でも法要を行い、午後2時ごろからは「こどもみこし」が地区内を練り歩きます。太田第2公園からJR和歌山駅東口までがコースとなっています。
今年は、4月15日(日)です。
「多数の方々の参列をお待ちしています。」
秋月さんは、呼び掛けています。さらに、
「太田に住んで良かった、太田に住みたいなぁと思ってもらえるような太田城史跡顕彰保存会を築いてゆかねばならないと考えております。今後なお一層のご支援をよろしくお願いいたします。」
と話していました。ところで、4月15日(日)に開催される「太田城水攻め433年祭」をもって2代目会長の秋月さんから、新会長、川端康紀(かわばた やすのり)さんに引き継がれます。
川端さんは、太田城の2人の戦士をキャラクター化した発案者でもあります。
「ひとつは、侍大将として勇敢に戦った太田左近宗正を自由の戦士・さこんくんとしてキャラクター化しました。もうひとつは、太田城が10万人の秀吉軍に囲まれた際赤い柄の槍を持って果敢に戦った紀州のジャンヌダルクと言われた女性を、愛の戦士・ませんなちゃんとしてキャラクター化しました。」新会長となる川端さんは
「立派な秋月会長の後を継ぐということで緊張しています。なんとか頑張っていきたいと思います。
それで、子どもさんたちを通して代々伝えていただくとともに日本中にこの素晴らしい歴史を伝えていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。」
と意気込みを話しています。
上記引用文中に登場するキャラクター「自由の戦士・さこんくん」「愛の戦士・ませんなちゃん」についてはリンク先のWebサイトでも紹介されているが、同保存会ではこのキャラクターを用いた幟も制作している。
このうち、「愛の戦士 ませんなちゃん」とは、太田城水攻めの際、水に囲まれた城から一人船を漕ぎ出して秀吉の大軍に攻め入り、朱柄の槍を手に縦横無尽に暴れ回ったと伝えられる「朝比奈摩仙名(あさひな ませんな)」という尼法師をモチーフにしたものです。この女性は、奮闘の末に秀吉軍に捕らえられたものの、その戦いぶりのあまりの見事さに感心した秀吉に許されてそのまま太田城に戻ったと言われます。
朝比奈摩仙名については、前述の「太田城物語」の項で詳述しているとおり「根来焼討太田責細記」という文書に登場するのみで詳細は不明ですが、近年では「戦国IXA」という戦国時代をテーマにしたオンラインゲームのキャラクターとして登場しており、いくらか知名度は高まってきているようです。
BushoCard/2800朝比奈摩仙名 - 戦国IXA Wiki