生石高原の麓から

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NHK大河ドラマ「八代将軍 吉宗」(和歌山市)

 「フィクションの中の和歌山」というカテゴリーでは、小説や映画、アニメなどで取り上げられた和歌山の風景や人物などを順次取り上げています。

 

 このカテゴリーの前回ではNHK連続テレビ小説純ちゃんの応援歌」を紹介しましたが、今回は「連続テレビ小説」と並んで我が国の代表的なテレビシリーズとして知られる「大河ドラマ」の第34作にあたる「八代将軍 吉宗」を紹介します。

 

 「大河ドラマ」とは、NHKが昭和38年(1963)から連続して放送し続けている歴史ドラマシリーズの総称です。Wikipediaによれば、当初NHKでは「大型時代劇」あるいは「大型歴史ドラマ」という名称を用いていたようですが、第2作の「赤穂浪士」放送直前にあたる昭和39年(1964)1月5日の読売新聞が第1作の「花の生涯」と次作の「赤穂浪士」を「大河小説※1」になぞらえて「大河ドラマ」と表現したことがきっかけで、この名称が一般化したものとされています。
※1 フランス語の「Roman(小説)-fleuve(大河)」の日本語訳。作家のロマン・ロランが自身の小説「ジャン・クリストフ」を「大河」に例えたことがきっかけとされ、個人の生涯や家族の歴史などをベースに、社会的・時代的な背景とともに広い視野で社会の流れを描いた長編小説を指す。 大河小説 - Wikipedia


 もともと「歴史ドラマ」として誕生した番組枠だけに戦国時代を中心とした武士の時代を描く作品が多いものの、「近代大河3部作」と呼ばれる第22作「山河燃ゆ1984)」・第23作「春の波涛(1985)」・第24作「いのち(1986)」や第58作「いだてん ~東京オリムピック噺~(2019)」など、明治以降を舞台とした作品もいくつか制作されました。
大河ドラマ - Wikipedia


 令和5年(2023)には徳川幕府を開いた徳川家康を主人公とする「どうする家康」が放送されましたが、令和6年(2024)1月からは源氏物語の作者として知られる紫式部を主人公とする「光る君へ」が放送されており、さらにその翌年には、江戸時代の版元(出版人)である蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)を主人公とする「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅう えいがの ゆめばなし)」が大河ドラマ第64作として制作・放送されることが発表されています。

 このように大河ドラマでは様々な立場の人物が主人公となっていますが、やはり王道路線は誰もが知る歴史上の人物を取り上げたストーリーであると言えるでしょう。ここで取り上げる「八代将軍 吉宗」はその王道路線の代表的な作品のひとつです。


 下記のページではビデオリサーチ社の調査による歴代大河ドラマの視聴率が紹介されていますが、これによると当時の大河ドラマの視聴率は、1987年放送の「独眼竜政宗」が平均39.7%という驚異の記録をたたき出したのをピークとして徐々に下がり始め、1994年放送の「花の乱」ではついに平均14.1%にまで低下していました。
NHK大河ドラマ | ドラマ | 過去の視聴率 | 週間高世帯視聴率番組10

 この状況を覆そうとNHKが全力を挙げて取り組んだのが1995年放送の「八代将軍 吉宗」でした。その制作体制についてAERA dot.では次のように紹介しています。

(前略)
 本作の脚本は、「山河燃ゆ」で始まった“近代史路線”の低迷から「独眼竜政宗」で大河ドラマを救ったジェームス三木。エグゼクティブ・ディレクターはかつて“大河ドラマの男”と呼ばれた大原誠が「徳川家康」から13年ぶりに大河に戻って、才腕をふるった。
 主役級を並べたキャスティングは、制作陣の意気込みを誇示しているようで、凄い。
 吉宗に「翔ぶが如く」の西田敏行、ライバルの尾張藩徳川宗春に「武田信玄」の中井貴一、六代将軍家宣側用人間部詮房に「天と地と」の石坂浩二大岡忠相に「徳川家康」の滝田栄という大河の看板を担ったことがある面々。女優陣も華やかだ。黒木瞳賀来千香子藤間紫草笛光子名取裕子などなど、前三作の低迷を払拭するためのNHKの懸命さが伝わってくる布陣だ。

dot.asahi.com

 

 結果的にこの作品は大変な人気を博すことになり、平均視聴率も前作を大きく上回る26.4%を記録しました。この作品の勢いを借りてスタートした次作の「秀吉」がこれを上回る視聴率30.5%を記録したものの、これ以降の作品は現在にいたるまで「八代将軍 吉宗」の視聴率を上回ることができていません。そう考えると、「吉宗」はまさに「大河ドラマ 中興の祖」と呼んでも差し支えないほどに重要な役割を担った作品であったといえるでしょう。


 この作品の特徴について、Wikipediaでは次のように紹介しています。

 時代背景が江戸中期という泰平の世であり、山場となる合戦などのスペクタクルシーンもなく、戦国や幕末と違ってドラマとしては政治劇が中心で劇的な展開を持ち込む事が難しかったにも関わらず、それを逆手にとって「将軍家のホームドラマ」という展開に仕立てあげ、ある時はコミカルに、ある時はシリアスに吉宗の生涯を描いた。前半は吉宗の青春と綱吉元禄時代、中盤は吉宗の将軍職就任にまつわる熾烈な政治劇、後半は幕政改革に勤しむ吉宗の幕政と尾張藩主・徳川宗春との対決、そして個性の全く異なる三兄弟の父親としての吉宗の苦悩を描いている。当時テレビ朝日で放送されていた『暴れん坊将軍』との比較も話題になった

八代将軍吉宗 - Wikipedia

 

 NHK保有している多数の映像コンテンツを公開しているNHKアーカイブスのWebサイトでは、この番組の一部を動画で見ることができます。

www2.nhk.or.jp

 この動画の中にもありますが、徳川吉宗役の俳優が青年期を演じた阪本浩之から成年~晩年を演じる西田敏行に切り替わるシーンで、疱瘡にかかった青年・吉宗(当時の名は頼方)の顔にぐるぐると巻かれていた包帯を取ると、そこから西田敏行の顔が現れた、という演出は当時の大きな話題となりました。
 このシーンについては西田敏行自身が次のように語っています。

 印象的だったのは、青年時代を演じた阪本浩之くんから本役の僕に変わるシーン。18歳くらいからバトンタッチしたのですが、疱瘡(ほうそう)を患い、顔を包帯でグルグル巻きにした頼方(吉宗)が治療を終えて包帯を取ると僕になっているという仕掛けで…大丈夫かなと思いました(笑)。

www2.nhk.or.jp

 また、この作品では上記の青年・吉宗を演じた坂本浩之の前に、少年・吉宗(当時の名は源六)を演じた子役がいました。それが、誰あろう今をときめく歌舞伎俳優の尾上松也だったのです。
 尾上松也と言えば、2022年の大河ドラマ鎌倉殿の13人」で後鳥羽上皇を怪演していたことが記憶に新しいですが、その大河ドラマ初出演作品がこの「八代将軍 吉宗」であったとのことです。下記のリンク先では当時の映像とともに、この作品での和歌山ロケが初めての泊まりがけの撮影であったことなどを語ったインタビューが掲載されています。

www2.nhk.or.jp


 そんな大河ドラマ史に残る作品となった「八代将軍吉宗」ですが、尾上松也のインタビューにあるように番組前半では和歌山で撮影された場面が頻繁に登場しています。
 今から30年近く前の作品とあってその痕跡をたどるのも難しくなってきてはいますが、和歌山市内に残る紀州徳川家の庭園・養翠園(ようすいえん)には当時のロケの様子を撮影した写真が今も展示されています。

 養翠園※2を造営したのは「文雅の藩主」として知られる紀州徳川家10代の徳川治宝(とくがわ はるとみ)なので、実際に吉宗紀州徳川家5代)がこの庭園で遊んだことはなかったのですが、それでも紀州の殿様が愛でた風景を色濃く残したこの庭園は、吉宗紀州時代の映像として実にふさわしい舞台であったと言えるでしょう。
養翠園 | 和歌山市の文化財
※2 この庭園は俳優の堺雅人菅野美穂が結婚するきっかけになった映画「大奥 ~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]」のロケが行われたことでも知られている。わかやま新報 » Blog Archive » 養翠園でロケ 大ヒット映画「大奥」第2弾

 

 ほかにも、この作品ではたしか西田敏行演じる徳川吉宗紀州東照宮の「神輿おろし」に参加したシーンも登場していたはずなのですが、残念ながら現在ではネット上にその情報は残されていないようです。「神輿おろし」は、当時「日本三大祭」に数えられたと言われるほど盛大であった「和歌祭(わかまつり)」のハイライトともいうべき行事で、現代まで400年以上にわたって継承され続けています。

www.youtube.com


 もともと和歌祭紀州徳川家の初代となった徳川頼宣が父・家康の霊を祀るために始めた祭礼であると言われていますが、その特徴は武士階級のためだけの祭りとせず、広く一般民衆も参加できる祭りとしたことにあります。その背景には、縁もゆかりもない駿河国から突然紀州にやってきた徳川の殿様が民衆の人心を掌握するための手段として用いた一種の懐柔策であった、と言ってしまえば身も蓋もない話になってしまいますが、とはいえ庶民も武士も、殿様も漁師も百姓もみなが平等に楽しむ祭りであったのだとすれば、その輪の中心に若き日の徳川吉宗がいたであろうことは疑うべくもないでしょう。

wakamatsuri.com


 もう一点、この番組には大河ドラマ史上特筆すべき取り組みがありました。それがタイトルバックでのCG(コンピュータ グラフィックス)の本格的な使用です。現在の観点から見ればテレビドラマにCGを使用するのはあたりまえのことで、個人でも家庭用コンピュータを用いて簡単に高品質なCG動画を制作できるようになっていますが、今から約30年前の非力なコンピュータではテレビでの鑑賞に堪えるようなCG動画を制作することは至難の業だったのです。
 そんなCG黎明期を支えた企業のひとつに和歌山市を拠点とするニット編み機の世界的メーカー・島精機製作所がありました。同社では、CG技術を活用してコンピュータの画面上でニット製品のデザインを行い、そのデータを直接編み機に送り込むことによって複雑な図柄を簡単に編み上げるコンピュータ編み機を製作しようとしていました。そして、その技術開発の一環として当時の世界トップレベルのCG技術を培っていたのです。
All in Oneシステム | 製品情報 | 島精機製作所 | コンピュータ横編機、デザインシステム、CAD/CAMシステム


 この当時の状況について、同社の創業者で現名誉会長の島正博は次のように語っています。

CGシステム ニット 自在にプログラム NHK大河ドラマでも活用

 ニット業界に革命をもたらした「シマトロニックデザインシステム(SDS)」の開発に欠かせなかった出来事がもう一つある。米航空宇宙局NASAが1979年に公開入札で払い下げた3枚のコンピューターグラフィックス(CG)ボードの1枚を入手できたこと。残り2枚のうち1枚を手に入れたのが米アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏と後に聞いた。
 このボードはNASA惑星探査機ボイジャー計画土星のアニメーション制作の際に使った後、不要になった画像処理基板とされた。それまで島精機のジャカード方式コンピューター横編み機は柄組み情報の入力の際、データを紙テープに穴を開けて伝える独自開発のテープメイキングシステム(TMS)を使っていた。だが、このボードがあれば、ディスプレー上でデザインから柄組み情報の伝達、製造までの作業を一気通貫で処理できるかもしれない。
(中略)
 81年に完成したSDSはその5年前の3原色のインスピレーションが結実したもの。ニット、タック、ミスの編み物の3動作をパンチカードや紙テープを使わず、プログラミングコードで読み込ませた。いわばニット製品デザインのCAD(コンピューターによる設計)システムである。欧州各社も追随できないシステムの完成により、以後編み機の世界トップメーカーとしての評価が定着していく。
 一方、CGシステムはその後、独立した事業部門に育っていった。80年代半ば以降、NHKや民放各社をはじめ、鹿島大成建設竹中工務店などのゼネコン、トヨタ自動車本田技研工業(ホンダ)などの自動車メーカー、大手広告代理店、印刷会社のほか、イトキンオンワード樫山(現オンワードホールディングスなどのアパレル各社にわが社のCGシステムを活用していただいた。
 中でもNHKはCG活用に熱心で、89年に放送されたNHKスペシャル「驚異の小宇宙・人体」という番組でわが社のCGシステムをフルに活用した。これをきっかけに関係が深まり、90年には島精機NHKエンタープライズがニューヨークに本社を置くハイビジョン番組制作会社「HDTVプラネッツ・パートナーシップ社」を共同出資で設立。当時のNHK会長の島桂次さんとは同じ名字ということもあり、懇意になった。
 さらに印象深いのは95年の大河ドラマ八代将軍吉宗」。タイトルバックに「島正博」の名が登場したのだ。CGの貢献に対するNHK側の気遣いだったと思うが、番組を見た知人がわざわざ電話をくれ「同姓同名の役者が『吉宗』に出ているぞ」と言う。「あれはボクのことや」と説明しても、なかなか信じてもらえなかった。
島精機製作所会長)

日経会社情報DIGITAL : 日経電子版

 

 番組のタイトルバックに島氏の名前が登場したのは、決して島氏への忖度だったというわけではなく、本来はCG製作者として島精機製作所の名前を出すべきところではあるが、NHKでは特定の企業名を表示することができなかったので代表者である島氏の名前を出すことで協力企業名に代えた、という話を当時聞いたことがあります。

 似たような例としては、2015年の「真田丸」、2022年の「鎌倉殿の13人」に、コーエーテクモゲームスが制作・販売するゲーム「信長の野望」シリーズで使われている3DCG地図を登場させる際に、ゲーム発売元のコーエーテクモゲームスという会社名ではなく、ゲームのゼネラルプロデューサーであるシブサワ・コウ氏の名前がクレジットされていたことが思い起こされます。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にシブサワ・コウが3DCG地図監修として参加。ドラマ内では『信長の野望』の3Dマップを活用した表現も | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

 
 上記で紹介した「NHKアーカイブ」にある動画ではそのCGを活用したオープニングタイトルの一部を視聴することができますが、残難ながら現時点ではかなり画素数が少なく、貧弱なCGに見えてしまいます。しかし、これでも当時は「絵の中の登場人物が動いている」などと驚きをもって受け止められたものだったのです。

 


 さて、「八代将軍 吉宗」が高視聴率を挙げたことにより、吉宗生誕の地である和歌山の知名度は大きく高まりました。
 和歌山市では、「吉宗」放映の一年前にあたる平成6年(1994)の7月から9月にかけて人工島「和歌山マリーナシティ」を会場として「JAPAN EXPO 世界リゾート博※3」という大規模なイベントが開催されました。詳細は下記Wikipediaの記事をご覧いただくとして、ともかくこのイベントには72日間の会期中に294万人という多数の来場者を集め、「当時としては珍しく成功した博覧会であった」とさえ評されるほどの盛況ぶりでした。
※3 世界リゾート博 - Wikipedia


 ところが、「吉宗」が放映された翌平成7年(1995)に和歌山市を訪れた観光客はこの数字をさらに上回る結果となったのです。これについては、長崎国際大学中村容子氏が学位論文「大河ドラマ放映を活用した地域振興に関する研究」において次のように述べています。

大河ドラマ放映を活用した地域振興に関する研究
 和歌山市は,「八代将軍 吉宗」(1995)放映に際し,1994年から観光客数が200万人増加した(1993年の502万人から1994年は710 万人となった)。これは,1994年に開催された「国際リゾート博覧会(筆者注:正しくは上述のとおり「世界リゾート博」である)」が影響していると考えられる。また,1995年には和歌山マリーナシティに「吉宗館」が設置され,同年2月から12月まで「八代将軍吉宗」を開催し,放映前年よりも20万人多い729 万人を集客した和歌山城には毎月4万人を超える観光客が訪れた。しかし,大河ドラマ放映後の和歌山城には,観光客が多い月で3万人程度に減少し,放映翌年には670万人になり,1999年※4まで観光客数は緩やかに減少した。
長崎国際大学学術機関リポジトリ

※4 筆者注:平成11年(1999)には和歌山県南部を中心に再び「JAPAN EXPO 南紀熊野体験博」という地方博覧会が開催され、これが成功したことにより「紀伊半島霊場と参詣道」の世界遺産登録への機運が高まった。その後、現在に続く「熊野古道ブーム」が定着していくこととなる。

 

 近年、和歌山市では旧伏虎(ふっこ)中学校跡地に整備された「和歌山城ホール」を拠点として和歌山城周辺の景観整備や魅力アップ事業に次々と取り組んでいますが、それはやはり「吉宗」の圧倒的な知名度を背景としたものであると言えるでしょう。

和歌山城ホールの屋上庭園から和歌山城を望む)

 もちろん、吉宗知名度アップには何よりも長年にわたりテレビ朝日系列で放映されてきた「暴れん坊将軍」の役割が大きかったことは間違いありませんが、下記の記事によれば、西田敏行さんは「大河ドラマ」という制約の中にあってなお互角以上の魅力ある作品が作れたと満足されているようです。

 すでに松平健さんの『暴れん坊将軍』が何年も前から放送され人気をほこっていましたが、あちらは典型的なエンターテインメント時代劇、史実から大きくはみ出て、将軍がおしのびで江戸の街にでて悪をこらしめるーーといったものです。しかし大河ドラマは視聴者の多くに『歴史的事実』として受け止められているので、史実から大きく外れることはできません。脚本のジェームス三木さんは史実に沿いながら、エンターテインメント時代劇として楽しく見られるように工夫をこらしていましたね。

dot.asahi.com

 

 ちなみに、西田敏行さんは2001年から2019年までの長期にわたり朝日放送制作の人気番組「探偵!ナイトスクープ」に局長として出演されていましたが、その際に「八代将軍 吉宗」にかかわった人物が登場したことが話題となりました。下記の個人ブログにその模様が掲載されていますので引用します。

2017年4月21日
『46年前のバスガイドさんに会いたい』探偵/石田 靖

 和歌山県の男性(64)から。「西田局長、ご無沙汰しております」。と言っても、お忘れだとは思う。今から22年前、西田局長が某テレビ局の大河ドラマ八代将軍吉宗」で主演された時のこと、私は和歌山市立博物館に勤めていて、和歌山関係の時代考証のお手伝いをした関係から何度かお会いさせていただいた。その旧知のよしみで、ぜひお願いしたいことがある。今から46年前、私が高校生の時、九州に修学旅行に行った際にお世話になったバスガイドさんに、もう一度会わせてもらえないだろうか?お名前は「志田鈴子(しだすずこ)さん」で、当時は20歳ぐらい。志田さんと長崎のグラバー邸で撮ったツーショット写真を今も大事に持っていて、それは人生で初めての女性とのツーショット写真なのだ。その写真に写っている18歳の若かりし私は今では64歳になり、無残に見る影もない。当時、初々しく美しかった志田さんが、どう変わられたのか、とても気になる。もし会えることができたなら、グラバー邸の同じ場所でもう一度、写真を撮りたい。西田局長八代将軍吉宗を演じる際に協力したお礼として、志田さんを探してもらえないだろうか、というもの。

探偵!ナイトスクープ 2017年4月21日「局長と旧知の64歳おじさんが取り戻した青春!?」

 この人物は寺西貞弘さんといい、もと和歌山市立博物館の職員で、後に博物館長も務めた立派な研究者です。ネットの情報では摂津市生まれということで、同市で「歴史ドラマを10倍楽しく観る方法」という講演会をされたことがあるようです。

 非常にきさくで面白い人物で、市立博物館長時代には「和歌山ラーメンの源流」と題して、なぜ和歌山市内の特定の地域でラーメン文化が定着したのかを学術的に考察した論文も発表されています。この内容は下記の個人ブログでまとめられていますので、興味をお持ちの方はこちらをご覧ください。
和歌山ラーメンはなぜ車庫前で発祥したのか : おもしゃい和歌山、などの和歌山


 あちらへこちらへと話題が随分拡散してしまいましたが、ある意味、それほどまでに大河ドラマというのは地域に大きなインパクトを与えるのだ、ということなのかもしれません。