生石高原の麓から

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NHK朝ドラ「純ちゃんの応援歌」(日高川町) 

フィクションの中の和歌山」というカテゴリーでは、小説や映画、アニメなどで取り上げられた和歌山の風景や人物などを順次取り上げています。

 

 今回は旧美山村寒川地区(現在の日高川町寒川)が舞台となったNHK連続テレビ小説(朝ドラ)純ちゃんの応援歌」を紹介します。

 「連続テレビ小説」とは、昭和36年(1961)から現在に至るまでNHKで朝8時台に放送され続けているテレビドラマのシリーズを指し、同じくNHKの「大河ドラマ」と並んで我が国におけるテレビドラマの代表的作品と位置付けられています。

 これまで、昭和36年(1961)4月放送開始の「娘と私※1」から令和5年10月放送開始の「ブギウギ※2」に至る合計109作品が放送されていますが、中でも、昭和58年(1983)4月放送開始の第31作にあたる「おしん※3」は平均視聴率 52.6%、最高視聴率 62.9%という驚異的な人気を博し、海外でも多くの国・地域で放送されて大ブームを巻き起こしました。
※1 娘と私 - Wikipedia
※2 ブギウギ(テレビドラマ) - Wikipedia
※3 おしん - Wikipedia

 

 「純ちゃんの応援歌」は連続テレビ小説としては第41作にあたる作品で、昭和63年(1988)10月から平成元年(1989)4月まで放送されました。これはつまり、「昭和最後の連続テレビ小説」であるとともに「平成最初の連続テレビ小説」となったということであり、その意味でおおいにエポックメイキングな番組であったと言うことができるでしょう。


 この作品は、結婚後に甲子園球場近くで旅館を開業し、後に「高校球児の母」と呼ばれることになる女将(おかみ)の半生記を描いたもので、NHKによれば特定のモデルはいないということですが、令和元年(2019)9月2日に放送された関西テレビよ~いドン!」という番組では神戸市東灘区の料理旅館「御影荘」の先代女将のエピソードが台本に取り入れられているということが紹介されていたようです。
よ~いドン!となりの人間国宝さん 神戸市東灘区 御影駅ぶらり

 

 ストーリーについてはWikipediaに詳しく紹介されていますが、ここでは寒川地区が舞台となっていた前半の一部を引用しておきます。

 1947年(昭和22年)8月。純子山口智子たち小野家疎開先の和歌山県美山村で川津祐介の復員を待ちわびていた。村の運動会の日、GHQから来たと名乗る男2人、ジョージ北川細川俊之速水秀平(髙嶋政宏)がやってきて、地元の興園寺林業の土地を借りようとしてきた。しかし北川は詐欺師とわかり、純子の説得によって改心し、美山村を去る。その後、村にやってきた本物のGHQが野球道具を支給し、子供たちは野球に熱中する。残った秀平は、興園寺家で働くが母国アメリカへ帰国するという。
 父・陽一郎満州から帰国する。彼は母に捨てられたという少年・雄太唐沢寿明も連れていた。純子の弟・西川弘志は同い年の雄太に戸惑うが、野球を通じて仲良くなる。一家は雄太を養子にしようという考えを持つようになる。しかし、大阪に就職の決まった陽一郎は心臓病で倒れ、あっけなく息を引き取ってしまった。小野家雄太と正式に養子縁組し、新たなる道を求めて大阪へと移る。
(以下略)

純ちゃんの応援歌 - Wikipedia

 

 NHKが所蔵している映像コンテンツの一部を無料公開しているNHKアーカイブス ポータル」では、「純ちゃんの応援歌」のオープニングや番組の冒頭部分などを動画でご覧頂くことができます。

www2.nhk.or.jp

 

 この動画でオープニングの直後に登場するのが茅葺屋根の歴史を感じさせる建物。これは江戸時代に建てられた「寒川家住宅(そうがわけ じゅうたく)」と呼ばれる建物で、平成25年(2013)に国の有形文化財に登録されています。

bunka.nii.ac.jp



 寒川家は、鎌倉幕府から寒川荘14ヶ村の地頭に任じられた家柄とされ、代々この地の氏神を祀る寒川神社宮司職を務める旧家です。和歌山県神社庁のWebサイトでは、寒川家寒川神社について次のように解説しています。

 里伝えによると旧寒川村は、天応元(781)年河内の人儀右衛門なるもの此処に居住、開拓して村を開き、「梅原の里」と称したのをはじまりとする。
(中略)
 平治元(1159)年、平治の乱下野国矢狗ケ城が落城し、寒川家四代朝実、五代朝康親子は、仁安2(1167)年主従73騎で梅原の里へ入った。
 この73騎の屋敷を「七三本屋敷」と伝え、後年この屋敷に居住する者、又は所有者が当屋をして河内神社祭祀を奉仕してきた。
 元久元(1204)年、寒川家六代朝玄鎌倉幕府より寒川荘14ヶ村の地頭を任じられ、守護神として国常立命伊弉諾伊弉冊命を祀り、阿田木原に遷宮した愛徳山権現の分霊も勧請合祀し、大宮権現を創建し、後明治6(1873)年に村社に列し、寒川神社と号する。
明治11年、村内各所の小祠を合祀し、氏神河内神社本殿東側に建立する。
明治41年、村内各社を寒川神社に合祀し現在に至る。
(後略)

和歌山県神社庁-寒川神社 そうがわじんじゃ-

 

 上記資料では寒川氏の祖・朝実と子・朝康がこの地に入ったとしていますが、この二人の人物について、和歌山県日高郡大正12年(1923)に発行した「和歌山県日高郡」では平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した有力御家人である結城朝光(小山朝光)※4の子孫であると記されています。(寒川家に伝わる系図では朝光の兄・朝政の子・朝秀という人物が最初に寒川氏を称したとされているが、日高郡誌の筆者は寒川氏の祖を結城朝光の子・時光に違いないと断定している)
※4 朝光の母は源頼朝の乳母を務めた人物で、後に頼朝から下野国寒川郡(現在の栃木県小山市南部)などの地頭職に任ぜられたことから「寒河尼(さむかわのあま/さむかわに)」と呼ばれた。寒河尼 - Wikipedia

寒川氏(寒川村大字寒川)
姓は藤原氏北家藤原房前の子、魚名の後、藤原秀郷の流也。
立家の祖は結城朝光の男時光ならざるべからず。
当家所蔵の系図には朝光の兄朝政の次代に朝秀を置き、寒川氏を称すとあり。
以下信じ難き節多けれど、しばらく系図に従いて抄録せんに、

朝秀の孫、朝忠寒川小三郎と称す 
その子朝実 野州より南都に退き、
朝実の子朝康始めて日高郡梅原の里 寒川 に来る 元暦三年四月四日没

次代朝玄 鎌倉に忠勤し功を以て地頭となる 仁治四年五月五日没
朝玄の子 朝持 もっぱら山野の開発に力む。
其の曾孫 朝輝 寒川與亮 大塔宮※5に奉仕す。
朝輝八世の孫 朝景伊藤甲斐守来襲の時※6 その舎弟 三之丞を討取り大に敵勢を挫く。
それより五世を経て直盛の時、上阿田木別当となる云々

按ずるに当家は衣奈上山氏の如く民治・社務併せ行いし土豪にして、阿田木権現の氏下は大抵その所領なりしなるべし。
[郡主当記]には、その所領、寒川庄五か村、今検地千石ばかりとあり。 [十寸穂の簿]にはおおよそ千二、三百石とあり
豊太閤(筆者注:豊臣秀吉のこと)南征の時帰順して 系図伊藤甲斐の守と戦えること見ゆ 領地を安堵せしが、関原の役、西軍にくみして所領を没収せらる。
後 浅野氏(筆者注:徳川幕府から最初に紀州藩主に任ぜられたのは浅野氏であり、浅野氏が広島の安芸藩に移った後に徳川頼宣紀州徳川家の初代となった)に仕えて安芸に至り、また帰りて紀藩に仕えしが 遂に浪人となり帰郷して農を営む。
[郡主当記]に言う、寒川五左衛門と申す者 年二十四、五になり申し候 ただいま寒川村に浪人仕居申し候 人からもおおかたの者に御座候故 所々被官共も思い付申す様に見え申し候

古六社権現を以て領内の産土神とせしより 浪人の後もなお神社を支配して終に神職の如くなれり。
今、家に蔵する所、佐久間甚九の願状一通あり。

和歌山県日高郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション
※5 後醍醐天皇の子・大塔宮護良親王を指す 護良親王 - Wikipedia
※6 天正13年(1585)の羽柴秀吉による紀州責めの際、本隊と分かれて山地荘(現田辺市龍神村)に攻め込んだ別働隊を率いた武将(大和国宇陀領主と考えられている)鶴ヶ城−紀州城郭探訪記

 

 日高川町の広報紙「広報 日高川町」の2021年(令和3年)2月号には「茅葺屋根を次世代に繋ぐ 寒川邸」という特集があり、現在の寒川家当主である寒川歳子さんが寒川家住宅の茅葺(かやぶき)屋根の葺き替え工事について詳しく語っています。

広報日高川 2021年(令和3年)2月号

 そして、続いて上記動画に登場するのが本作の主人公・小野純子を演じる山口智子です。



 近年の「朝ドラ」ではNHKからのオファーにより主演俳優を決定するケースが多く、オーディションで決定された場合でもその多くが既に知名度の高い俳優であることが大半※7ですが、かつてはこの番組が「新人女優の登竜門」と位置づけられており、ほとんど演技経験のない新人を主演に抜擢することが通例となっていました※8
※7 【オーディション?オファー?】2010年以降の朝ドラ・ヒロイン 決定方法・経緯まとめ | ロケTV

※8 下記のサイトでは「朝ドラからデビューした女優」として大竹しのぶ山咲千里星野知子紺野美沙子手塚理美藤吉久美子沢口靖子山口智子の名が挙げられている。NHKの朝ドラでデビューした女優たち

 

 山口智子(やまぐち ともこ)は昭和39年(1964)栃木県生まれ。青山学院女子短大在学中にモデルとして活動を開始し、昭和51年(1986)に東レキャンペーンガールとしてデビューしていますが、演技の経験は「純ちゃんの応援歌」が初めてであったようです。
 そんな「朝ドラ」出演前後の様子について、山口さんは「サンスポ」のインタビューに次のように答えています。

 かつて栃木の実家が旅館を経営していて、一人娘の私は幼い頃から「継ぐんだよ」と言われ続け、夢を見ることを諦めて暮らしていました。社会見学をするつもりで期限を決めて東京の短大に進学し、スカウトされて始めたのがモデルの仕事。モデルは一生できるものではないと思いながら、無理やり、東京にいる理由を作っていました。実家には「もうちょっと待って」という気持ちで、心の中では、自分には何か本当の道があるのではないかという希望を持っていました。
 何かになりたいけど、それが見つからないジレンマ…。迷っていた時期に朝ドラのヒロインオーディションの話をいただき、どんなことにもチャレンジしようと思って受けたんです。ド素人の私がまさか選ばれて。でも、選んでいただいたおかげで、全く違う人生になりました。
 親たちはまさかと思ったはずですが、テーマが旅館だったので、不思議な運命に流されるように応援してくれるようになりました。私にとっては演技も初体験。毎日が崖っぷちから飛び降りるくらいの感覚で、先のことは考えられませんでした。無我夢中だったことを思い出します。
(中略)

www.sanspo.com

 ヒロインに選ばれたのは、運動神経があったおかげかなと思います。10代のころに陸上競技などをやっていたんです。
 ヒロインは野球好きで野球をするシーンがあったので、オーディションでは運動神経も審査されていたんだろうな、と思います。演技審査のことよりもマット運動があったことをよく覚えていて、でんぐり返しがうまくできたんでしょうね。
 野球を指導してくださったのは、元阪神本屋敷錦吾さんでした。ポスター撮影でバットの振り方を教わりました。運動が好きなので違うテーマだったら、受かっていなかったかもしれません。
 最初のロケ地は和歌山や奈良。木造建築の古い小学校の校庭で子供たちと野球をしたんですけど、本当に楽しかったですね。自然に囲まれた素敵なロケーションに助けられ、何も分からない素人の私が作品の時代にタイムスリップして、「純ちゃん」になれたような気持ちになりました。

(以下略)

www.sanspo.com

 

 「朝ドラ」のヒロインとなったことで人生の大きな転機を迎えた山口さんですが、この番組への出演は、もうひとつ山口さんの人生に大きな影響を与えることになります。それが後の夫となる唐沢寿明さんとの出会いでした。二人の馴れ初めについて、山口さんは令和4年(2022)7月17日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」で次のように語っています。

 NHK連続テレビ小説純ちゃんの応援歌』の共演をきっかけに、1995年に唐沢と結婚した山口。ドラマでは、唐沢が弟役(筆者注:山口演じる小野純子の父が中国大陸から連れ帰った孤児で、後に小野家の養子となったため、純子の義弟となる)だったため、「“姉ちゃん、姉ちゃん”って言ってて。やっぱり、家族っていう感覚から始まったのがよかったのかな。一緒にいて楽で心地よかった」と当時を回顧。「朝ドラ終わってちょっとしてから一緒に暮らすようになって」「朝ドラって他に何も考えられないぐらい、人生すべてをかけるしかないから。それが終わってホッとしてからだよね」と交際に至った経緯を語りつつ、結婚を決めた理由について、「なんとなく、“籍入れようかな?”みたいな。“する~?”みたいな感じ」と打ち明けた。

news.mynavi.jp

 

 山口さん唐沢さんの交際がメディアで取り上げられるようになったのは、「純ちゃんの応援歌」の放送が終了してから約3年後の平成4年(1992)のことでした。山口さんのマンションに宅配の配達を装った暴漢が侵入。これを撃退した男性というのが実は唐沢さんだったということがわかり、一気にメディアの知るところになったのですが、これについては当項であまり詳しく語ることではないと思いますので、リンク先の記事を紹介するにとどめておきましょう。

www.excite.co.jp

 

 後に山口さんは「ダブル・キッチン」「29歳のクリスマス」などのヒットドラマに出演し、平成8年(1996)に放送されたフジテレビ系「ロングバケーション(主演:木村拓哉山口智子」では遂に最高視聴率36.7%を記録したことから「トレンディドラマの女王」とまで呼ばれることとなるのですが、その原点となった場所はこの和歌山のひなびた寒村であったのです。

 

 このドラマは冒頭でも紹介したとおり昭和と平成をまたいで放送されたのですが、令和の時代になった2021年(令和3年)に、再びNHK総合テレビで全話放送されました。
 
 当時の地元紙によると、日高川町(撮影時は日高郡美山村であったが、現在は合併により日高川町となった)ではこれを契機として再び寒川地区をPRしていこうと写真展などのイベントを開催したと伝えられています。

blog.goo.ne.jp

 

 山口さんは、令和元年(2019)に放送された「なつぞら(主演:広瀬すず」で約30年ぶりに「朝ドラ」出演を果たした際に次のように語っています。

朝ドラは、私の人生のすべてのきっかけをくれたお母さんのような存在。感謝してもしきれないぐらい感謝しています。その恩返しさせていただきたいというか、ちょっとでも皆さんのお役に立てたらという気持ちで臨んでいます。(以下略)

www.oricon.co.jp

 現在も活躍を続ける「トレンディドラマの女王」の原点の地が和歌山県中部の山村であったというのは実に興味深いことだと言えるのではないでしょうか。