生石高原の麓から

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ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した映画監督・東陽一(紀美野町)

 前項では、紀美野町出身の映像作家・アニメーター、森本晃司(もりもと こうじ)を紹介しましたが、今回は同じく紀美野町出身の映画監督・東陽一(ひがし よういち)を紹介します。

 

 東陽一昭和9年(1934)生まれ。女性を主役にした映画で数々のヒット作を連発したと思えば社会派の重いテーマに取り組み、戦後まもなくの農村を舞台にした叙情的作品で国際的に高く評価された後にはアルコール依存症の男性を取り巻く家族の物語を描く・・・といったように、半世紀にわたり様々な映画を作りつづけてきました。その全てを語りきることは到底不可能ですが、ここでは有名な作品を中心に東氏の足跡を振り返っていきたいと思います。

現在地はいずくなりや

 

 東氏の経歴について、Wikipediaでは次のように紹介されています。

 早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、助監督として多く黒木和雄作品についたが、1962年、助監督のまま退社してフリーランスとなり、短編映画『A FACE』(1963年)で監督デビューした。 長編第一作はさまざまな論議を呼んだドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。つづく初の劇映画『やさしいにっぽん人』(1971年)で日本映画監督協会新人賞を受賞、劇映画三作目の『サード』(1978年)では第52回キネマ旬報ベストワン、第21回ブルーリボン賞作品賞芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞し、映画監督としての地歩を固めた。
 1979年に公開された『もう頬づえはつかない』はインディペンデント映画としては異例の観客動員数を記録し、若い女性を中心に圧倒的な支持を得た。その後、『四季・奈津子』(1980年)、『ザ・レイプ』(1982年)、『化身』(1986年)など、女性の美と生を巧みに描いた快作をたて続けに発表。
 1992年、住井すゑのベストセラー小説を映画化した『橋のない川』は観客動員数200万人を超えるヒットを記録。1996年の『絵の中のぼくの村』は芸術選奨文部大臣賞、第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞などをはじめ、国内外で数多くの賞を受けた。またモントリオール世界映画祭では『わたしのグランパ』(2003年)が最優秀アジア映画賞、『風音』(2004年)がイノベーションをそれぞれ受賞。『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(2010年)は、第20回日本映画批評家大賞の監督賞を受賞した。
(以下略)

東陽一 - Wikipedia

 

 東氏の長編第一作となる「沖縄列島※1」は戦後23年を経過した沖縄を撮影したドキュメンタリーとして、また劇映画第一作となる「やさしいにっぽん人※2」は沖縄出身の青年をとりまく日常を河原崎長一郎緑魔子伊丹十三ら豪華キャストで制作した社会派映画として、それぞれ批評家らをうならせた作品となりましたが、東氏をメジャーシーンに押し上げた作品としてはなんと言っても映画第三作となる「サード(1978年公開)」が最も大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
※1 沖縄列島 映画製作・配給会社シグロ
※2 やさしいにっぽん人 映画製作・配給会社シグロ

 この作品は軒上泊の「九月の街」という小説をもとに歌人・劇作家の寺山修司が脚色したもので、高校野球部員の「サード」、数学が得意な「IIB」、「新聞部」、「テニス部」という名で呼ばれる男女4人の高校生を描いた青春映画ですが、青春時代の重苦しさや苦さを余すことなく表現した東監督の手腕が一躍注目される映画となりました。

www.cinematoday.jp

 そして、この映画で「サード」と「新聞部」を演じて一躍注目を浴びることとなったのが永島敏行森下愛子という二人の俳優でした。特に永島敏行はこの映画での演技をきっかけに、「昭和53年度 報知映画賞 新人賞」「第16回 ゴールデン・アロー賞 映画賞 新人賞」「エランドール賞」など、数々の新人賞を受賞して大きな飛躍を遂げることとなります。

ja.wikipedia.org

 また、現在はシンガーソングライタ-・吉田拓郎の妻として知られる森下愛子ですが、サードでの演技が注目された後は奔放な女子高生の役などを演じてアイドル的な人気を博し、後には演技力豊かな個性派俳優として様々な作品に出演することとなります。

www2.nhk.or.jp


 「サード」で一躍注目を浴びることとなった東氏は、その後、女性を魅力的に描いた映画で一躍メジャーシーンに踊り出ることになります。昭和54年(1979)に公開された「もう頰づえはつかない」は早稲田大学の学生であった見延典子が書いた同名のベストセラー小説を映画化したものですが、非商業的な作品を多く取り扱うATG日本アート・シアター・ギルドの製作・配給だったにもかかわらず配給収入4億円以上と、当時としては大きな成功を収めることになりました。

 特にこの映画で主演した桃井かおりは、「第34回毎日映画コンクール 主演女優賞」、「キネマ旬報 主演女優賞」、「第22回ブルーリボン賞主演女優賞(「もう頰づえはつかない」「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」「神様のくれた赤ん坊」の三作品)」、「日本アカデミー賞主演女優賞(「もう頰づえはつかない」「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」「神様のくれた赤ん坊」の三作品)」という極めて高い評価を得ました。
もう頬づえはつかない - Wikipedia

 そして、この映画をヒットさせた東氏の手腕に注目したのが東映の洋画配給部門でした。この当時、東映の洋画部門は角川映画※3やアニメ「宇宙戦艦ヤマト」などの配給が主力事業となっており、外国映画の買い付けはほとんど行っていませんでした。そこで、それまで日本映画では手薄となっていた女性層をターゲットにした映画を自ら制作するという方針を定め、その第一作の監督として東陽一に白羽の矢が立ったのです。
※3 角川映画 - Wikipedia

 このとき、東映側から原作として示された作品が五木寛之のベストセラー小説「四季・奈津子」でした。

 結果的にこれが東氏のメジャー(商業系)映画初監督作品となるのですが、オーディションで選ばれた奈津子役の烏丸せつ子がその前年から「クラリオンガール※4」としてTVCMやポスターなどで大胆なセミヌードを披露していたことも相まって、この作品は大きな話題を呼ぶことになりました。
※4 カーオーディオメーカークラリオンが1975年(昭和50年)から約30年に渡ってほぼ毎年選出していたキャンペーンガール。当時は人気芸能人への登竜門として知られていた。
四季・奈津子 : 作品情報 - 映画.com

 

 その後も東氏は女性を魅力的に描く作品を次々に監督することとなり、にっかつロマンポルノ10周年記念「ラブレター(1981年公開 主演:関根恵子※5」、ファム・ファタール(男たちを破滅させる女)を描いた最初の文学作品とされる小説「マノン・レスコー」を題材とした「マノン(1981年公開 主演:烏丸せつ子※6」、渡辺淳一の恋愛小説を映画化した「化身(1986年公開 主演:黒木瞳※7」など、多くの話題作を手がけました。
※5 にっかつロマンポルノ史上最高の興行収入を上げたとされる。
   ラブレター(1981) : 作品情報 - 映画.com

  

※6 この作品で佐藤浩市が第24回ブルーリボン賞新人賞を受賞した。
   
マノン : 作品情報 - 映画.com

  

※7黒木瞳の映画初主演作品となった。
   
化身 (1986) 映画データベース - allcinema

  

 

 そんな東氏は、平成4年(1992)公開の「橋のない川」で一転して部落差別を真正面から捉えた社会派の作品に取り組みました。住井すゑが記した同名の小説を原作としたこの作品は明治時代後期のとある被差別部落を舞台とし、部落差別解消を目的とした団体・全国水平社が創設されるまでの物語を描いたものですが、その重いテーマにも関わらず配給収入12億円という大ヒット作となりました。

橋のない川(1992) : 作品情報 - 映画.com

 この作品は、同年の毎日映画コンクール報知映画賞日刊スポーツ映画大賞でそれぞれ監督賞を受賞したほか、大谷直子日本映画批評家大賞特別賞中村玉緒第5回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞するなど、専門家の間でも高く評価されました。
橋のない川 - Wikipedia

 

 

 そして、映画監督・東陽一の名を不動のものとした作品が平成8年(1996)公開の「絵の中のぼくの村」です。この作品は絵本作家・田島征三による同名の自伝的エッセイ集を原作としたもので、双子の兄弟が高知の山村で過ごした少年時代をファンタジックに描いた作品です。

絵の中のぼくの村 : 作品情報 - 映画.com 

 この作品は海外で非常に高く評価され、特に「カンヌ国際映画祭」「ヴェネツィア国際映画祭」と並び世界三大映画祭のひとつに数えられる「ベルリン国際映画祭」において「特別銀熊賞(Silver Bear for an outstanding single achievement)」を受賞したことで東陽一の名は海外でも注目されることとなりました。
第46回 ベルリン国際映画祭(1996年) - 映画.com

 

 

 東氏はまた平成15年(2003)に公開された「わたしのグランパ」でも「第27回モントリオール世界映画祭 最優秀アジア映画賞」を受賞しています。

この作品は筒井康隆の同名小説を映画化したもので、公開当時は菅原文太が出演していることで話題となったようですが、現在の視点から見るとなんと言っても石原さとみのデビュー作であるという点が特筆すべき事柄であるといえるでしょう。

natalie.mu

 石原さとみは平成14年(2002)の「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを受賞したばかりの新人で、それ以前に別名義石神国子で映画に出演したことがあるものの、「石原さとみ」名義で映像作品に登場したのは「わたしのグランパ」が最初であったとのことです。
石原さとみ - Wikipedia


 平成22年(2010)には重度のアルコール依存症の患者とその家族を描いた「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」が公開されました。

 この作品の原作は平成19年(2007)に死去した戦場カメラマン・鴨志田穣さんの自伝的小説なのですが、この作品に登場する鴨志田氏の妻(映画では永作博美が演じた)が「毎日かあさん」などの作品で知られる漫画家・西原理恵子(現在は高須クリニック創業者の高須克弥氏と事実婚状態にある)だということでも話題となりました。
酔いがさめたら、うちに帰ろう。 : 作品情報 - 映画.com


 東氏は、こうした映画作品の監督と並行して、障碍者も楽しめるように配慮した「映画のバリアフリー」にも取り組みました。「絵の中のぼくの村」や「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」に視覚障碍者のための「副音声」や聴覚障碍者のための「日本語字幕」を入れた「バリアフリー」を作ったほか、いわゆる「ピンク映画」を障碍者でも楽しめるようにしようという「エロティック・バリアフリー・ムービー」の制作にも携わりました(監督の名義は東ヨーイチ表記)。

www.cinematoday.jp


 東氏平成28年(2016)に公開された「だれかの木琴(出演:常盤貴子池松壮亮」を最後に監督作品を公開していませんが、令和2年(2020)2月に、東氏へのインタビューを中心として制作されたドキュメンタリー映画現在地はいづくなりや 映画監督 東陽一」が公開されました。この映画では、東氏の作品に出演した3人の俳優、常盤貴子(だれかの木琴)烏丸せつ子(四季・奈津子、アマン)緑魔子(やさしいにっぽん人、日本妖怪伝サトリ)も登場して東氏と対談しています。

izukunariya.com

 この映画の公式サイトでは、本作の監督・編集に携わった小玉憲一氏が東氏について次のように語っています。

 東陽一という映画監督が、広く世に知られるようになったのは、やはり『サード』からということになるだろう。1978年に公開されたこの作品は多くの賞を受賞したATGの伝説的映画だ。そして、その1978年は僕、この映画の監督である小玉憲一の生まれた年でもある。
 今回、東さんのドキュメンタリーを撮るにあたり、そのキャリアを振り返ってみたわけだが、やはり「すごい」と言わざるを得ない。日本人の監督で、シリーズ物やプログラムピクチャーなどを除いて、20本を超える作品を残している監督が何人いるだろうか。そしてやはり、僕は東さんの映画が好きなのだなと思った。『世界一』とまでは言わないが、『世代一』くらいは名乗らせてもらってもいいだろう。
 実は今回、一番頭を悩ませたのはタイトルだった。いくつものタイトル案を考えたが、どれもしっくりこない。つまりテーマが僕にも良く見えていなかったのだろう。映画にまでしたいと思う、ひとりの映画監督の、何に僕は惹かれているのか。何を描きたいのか。もうこのままでは東陽一と同化してしまうのではないか、というほど東作品を見返す日々が続いた。
 そうして辿り着いたタイトルが『現在地はいづくなりや』だった。これは東陽一監督初の劇映画の中に通信という形で出てくる言葉だ。
現在地はいづくなりや、現在地を知らせよ
 そこに辿り着いた時、僕の中で全てのピースがはまっていったように感じた。東さんは『やさしいにっぽん人』から『だれかの木琴』に至るまで、常にこのことを頭の隅に置いていたのではないか?

現在地はいづくなりや、現在地を知らせよ
 この問いに答えを持つ人間などいるだろうか。どの時代のどの世代もどんな人間も持つ疑問なんじゃないか。例えば『サード』で描かれた少年少女たち、彼らは居場所を求めていた。それぞれのホームベースを求めていた。これは今の若年層がSNSに依存し、どこかに所属しようとするのに似ている。
 東作品は地球や宇宙を存亡の危機から救ったりはしないが、今を生きる誰しもが持つ、孤独や隙間を共有してくれるのだ。決して答えを押しつけたり、善悪の価値観を提示したりはしない。ただその場所に、同じ所にきて寄り添ってくれるのだ。その絶妙な距離感こそが、東映画の魅力のひとつだと、僕は思う。
 誰しもが自分の世界と、自分以外の世界で生きている。東映画はその境界線上にひょっこりと顔を出すのだ。
 今の世の中、とかく白黒はっきりさせたがるが、どちらでもないという曖昧な立ち位置こそ、今まさに必要とされていることではないだろうか。
 その曖昧さを東さんは『魍魎』という言葉で表現している。光と影との境目、そのあわいに潜む妖魔のごとき、見る者は見ることができるが、そうでない者は気づくことさえのないもの。東さんが自分の作品として納得できるものには、その『魍魎』がチラチラと映り込んでいるのだそうだ。
 『現在地はいづくなりや 映画監督東陽一』このタイトルを東さんに見せたとき、「かっこよすぎるんじゃないか?」といってニヤリと笑われた。
 「かっこよくていいじゃないですか」そう言って、僕も笑い、そのタイトルで行くことを決めた。
 そうして何十時間にも及ぶインタビューを経て、完成したのがこの映画だ。よくもまあ、そんなにお付き合いいただけたものだと思う。自分で言うのもなんだが、なんだか不思議な映画が出来上がった。いわゆるドキュメンタリーではないし、もちろん劇映画でもない。心理学者の河合隼雄は「芸術作品の中には、作者でさえ気づかないものが含まれている」と言っている。自作を「芸術作品」などと呼ぶつもりはないが、僕にも意図しないものが、ひょっとしたら『魍魎』がどこかに映り込んでいるかもしれない。僕からしてみれば、東陽一その人こそ、『魍魎』のごとき存在ではあるのだが

 

 東陽一氏は和歌山県出身の大監督なのですが、残念なことに和歌山を舞台とした作品がないためか、県内での知名度が比較的低いと感じられます。もう高齢のため新たな監督作品を期待するのは酷というものでしょうが、もっともっと故郷において高く評価されるべき人物であると思います。