生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

世界的映像作家、アニメーター・森本晃司(紀美野町)

 前項では、和歌山市で生まれ、紀美野町で育った人気漫画家・助野嘉昭(すけの よしあき)を紹介しましたが、今回は紀美野町で生まれた映像作家・アニメーターの森本晃司(もりもと こうじ)を紹介します。

 

 名前だけでピンと来る人はよほどのマニアだと思われますが、その経歴を見ると国内外のそうそうたる顔ぶれが森本晃司の才能に惚れ込んでいることが判ります。

森本晃司公式サイト
森本晃司 - Koji Morimoto (HTML5)

 そんな森本氏について、Wikipediaでは次のように紹介されています。

 森本 晃司(もりもと こうじ、1959年12月26日 - )は、日本のアニメーション監督、映像作家、ビジュアル・クリエイター、アートディレクター。クリエイティブチーム「phy(ファイ)」主宰。アニメ制作会社「STUDIO4℃」創立メンバーの一人。京都精華大学客員教授文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員(第17回、第18回、第19回)。ビジュアルクリエイターとして世界各国のアートプロジェクトに参加、企業へのアートディレクションやCM、プロダクトデザイン、空間デザインなどアニメーション制作以外の分野で活動も積極的に行っている。
(中略)
 大友克洋押井守たちから絶大な支持を受けるアニメーターとして活躍した後、監督や演出も手掛けるようになる。1980年代前半にリアルさとトリッキーな面白さを合わせもつ作画スタイルでアニメーターとしてファンを魅了すると、後半には大友克洋に才能を認められて『迷宮物語』『AKIRA』等の大友関連作品にメインスタッフとして参加する。オムニバス映画『迷宮物語』の「工事中止命令」では、大友監督のもと、なかむらたかしと二人で作画にあたり、28歳の時には大友が自身の漫画を映画化した初長編作品『AKIRA』で、設定および作画監督に抜擢される。そして30歳の時に大友原作のオムニバス映画『MEMORIES※1の一篇「彼女の想いで - MAGNETIC ROSE(脚本:今敏で監督を務める。
(中略)
 デジタル技術を取り入れることにも積極的で、3DCGによる作品も手がけている。セガ・エンタープライゼスシンクの共同出資による3DCGスタジオ、トリロジーの立ち上げにも参加。CGクリエイターのマイケル・アリアスやプロデューサーの竹内宏彰などと共に、松本大洋の漫画作品『鉄コン筋クリート』の3DCGパイロット版※2を監督する。同作品は第3回文化庁メディア芸術祭デジタルアート部門優秀賞第14回マルチメディアグランプリ1999CG部門最優秀賞を受賞した。
 オムニバスアニメーション作品『アニマトリックス※3では、映画「マトリックス」を監督したウォシャウスキー兄弟直々のオファーにより、その内の一本「ビヨンド」を監督・脚本した。2人はかねてから森本晃司作品に強い影響を受けてきたという。
 生粋のテクノファンでも知られる音楽好きの森本は、アーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。1996年にケン・イシイのミュージック・ビデオ※4を監督したのを皮切りに、その後も宇多田ヒカル浜崎あゆみGLAYといったアーティストのMVを手がけて行った。
(中略)
 森本ファンである事を公言していた宇多田ヒカルのアプローチにより、2005年にUtada名義でリリースされた彼女のアルバム『EXODUS』の楽曲を使用したミュージック・ビデオ集『Fluximation※5を総監修。1997年のショートフィルム『音響生命体ノイズマン※6では、菅野よう子のテクノ音楽とコラボレーションした。
森本晃司 (アニメーター) - Wikipedia

※1 www.twellv.co.jp

※2www.nicovideo.jp

※3
 

STUDIO4℃ WORKS | アニマトリックス

※4
www.youtube.com

※5

STUDIO4℃ WORKS | Fluximation

※6

STUDIO4℃ WORKS | 音響生命体ノイズマン

 

 また、比較的最近では2017年に放送されたTVアニメ「18if(エイティーンイフ)」の総監修を務めたことが話題になりました。

akiba-souken.com

 このとき制作されたトレイラー(広告用動画)は、アニメを制作した株式会社ゴンゾGONZOの公式youtubeチャンネルで鑑賞することができます。現在でも珍しい360°全方向に自由に視点を変えて鑑賞できる動画ですので、ぜひご覧になってください。

www.youtube.com

www.youtube.com

 

 アメリカの日本人街を拠点に複合ビルの運営や文化事業などを手がける NEW PEOPLE 社が運営するWebサイト「NEW PEOPLE TRAVEL」には、森本晃司の長文インタビューが掲載されていますが、この中で森本氏は故郷の紀美野町について次のように語っています。

 和歌山県の奥深い森のなかで暗くなるまで遊んでいた少年期の鮮やかな記憶のエッセンスは、その都市的でスタイリッシュな映像美においても有機的な匂いを放つ源となっている。そこに住んだことのある人にしか聞こえない音、見えない景色。それが、今でも毎年のように帰郷するという紀美野町(旧美里町にはまだ少なからず残っているという。

 「学校から帰って来て、自分のうちが見えるあたり、ちょうど河に小さい橋がかかっていて、ぐるっと周囲の谷が見渡せるところが、今も変わらず好きな場所。 上流にあって静かだから、逆に音の洪水がすごい。誰かが外からクルマに乗ってやってくると、“あ、あの家に客が来たな”ってすぐにわかるくらい。
 「田舎だったから、幼稚園児から中学生くらいの大きい子供たちまで、学ぶのも遊ぶのもみんな一緒。いろんな知恵を子供同士でシェアしたり、10歳くらい歳の離れた子ども同士で勝負をしたりね。年上に負けてもあたりまえなんだけど、負けたら悔しくて、次は何とか勝とうとするんだよね
 「周りにモノもなかったから、もとからないものとして考えて、何でも一から作る。どこかから木をとってきて、穴を開けてクルマを作ったり、木の上に家を作って遊んだり。そういうなかで育ってきたから、人とアイディアを出し合ったりすることが自然に身に付いて、躊躇せずに、どうやったら実現出来るかをいつも子供同士で話し合っていた。

 とはいえ、時代とともに徐々に変わりつつもある故郷の風景を何とか残したくて、近年では当地の町おこし活動にも参画しているという。自身も通った学校がすでに廃校となっていて、その旧校舎を拠点に発信するイベントの企画が進んでいる。それも、クルマの通れない細い道や、けもの道をわざわざ通っていかないと辿り着けないような、“不便さ、大変さ”を逆手に親子で楽しむ手法になるそうだ。
 低温化する子供たちを外に連れ出して土の味や匂いを教え、路地裏のワクワクを教えるべき大人たちのほうこそ、無菌化されてしまった大きなコドモたちといえるのかもしれない。その先頭に立って道案内をする森本少年の姿が、目の前に見えるような気がした。
NP Travel: MORIMOTO #01

 

 上記引用文中で触れられている森本氏の参画している町おこし活動については、Webメディア「ソトコト」の2021年7月19日付け記事に次のような紹介が掲載されていました。

 このあたりの地名「神野(こうの)」「真国(まくに)」は、平安時代からの「荘園」の名前です※7。例えば、この地域に伝わる芸能「御田舞(おんだまい)」の歌詞には「領家(りょうけ 荘園領主のこと」「地頭(じとう 荘園の管理者のこと)」「重之衆(不詳)」といった中世の用語が登場し、なかには平安時代の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』からの引用も見られるとか。高野山など大寺院のある土地柄、中世には海を渡って来た大陸からの高僧を迎え入れ、緑茶金山寺味噌など日本の食文化の成立にも大きな役割を果たした留学僧らを多数輩出している国際的な面も。
 そんな底知れぬ地域の奥深い側面を伝えるべく、いくつものプロジェクトが進行しています。この地域出身のアニメーション監督・森本晃司さんと、柿や山椒などの地域の産品からお土産と観光資源を開発し、あらたな移住者を募るまでを視野に入れた「てとてよ上神野(後述)」。地域を生きた博物館(「フィールドミュージアム」)として整備し紙芝居などにも取り組む、和歌山大学によるプロジェクト※8。そして「御田舞」もここ数年の少子化で次々と廃絶している中、りら創造芸術高校のプロジェクト※9では、高校生たちが真国の「御田舞」を復活させています。こうした地域の集まり自体、中世からの村の儀礼や祭りを運営してきた「宮座(みやざ 地域の氏神の祭礼に関わる人々の組織)」のかたちが、姿を変え、核となり地域の文化づくりに活かされているふしもあります。
(以下略)
山と海をつなぐ和歌山県。21世紀の「紀州惣国」に展開されるさまざまなプロジェクト。 | sotokoto online(ソトコトオンライン)

※本文中、かっこ内の注釈は筆者による

※7 神野・真国荘については和歌山県立博物館によるリンク先の記事が詳しい

hakubutu.wakayama.jp

※8 地域と学生との協働に対するサポートのあり方 : 紀美野町上神野地区における実践事例を通じて - コンテンツ一覧 - 和歌山大学学術リポジトリ

 ※9 御田の舞

 

 森本氏が参画しているという「てとてよ(この地域の方言で「手伝ってくださいよ」の意味)上神野」の活動については下記のfacebookで詳しく解説されています。このトップに掲載されているイラストは、もしかすると森本氏が関係しているものかもしれません。
Facebook てとてよ上神野


 また、森本氏は2001年にアニメ雑誌アニメスタイル」で「アニメの作画を語ろう」とというタイトルでインタビューを受けていますが、その中で、氏は自身がアニメーターになろうとしたきっかけとして「宇宙戦艦ヤマト」の名を挙げています。

小黒 そもそも、森本さんがアニメーターになろうと思ったきっかけって何なんですか。
森本 なろうと思ったのは、うーん……『ヤマト(笑)
小黒  ああ。
森本 あれがやっぱり結構ショックと言うか、最初に観た時は「何じゃこりゃあ」って思いましたね。その後、『ルパン』とか、『ガンバ』とか、『コナン』とか、凄まじいシリーズが次々現れて。
(以下略)

WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう

 さて、下の写真は某所で入手した某高校の卒業アルバムの一部なのですが、どうやらこの「ヤマト」が森本氏の作品ではないかと言われているようです。それが事実であったとすれば、森本氏の原点を考える上で大変貴重な資料なのかもしれません。