生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

山あいのクリスマスツリー(1996.12.24~31)

 「イベント回顧録」のカテゴリーでは過去の個人サイトに載せていたイベントの記録などを再掲しています。

 

 私の母校である紀美野町小川小学校には、樹高35メートルと言われる大きなメタセコイアの木があります。
 昨年は新型コロナウイルス感染対策のために中止となりましたが、毎年冬になるとこの木にイルミネーションを施して、校庭に屋台が出て地元の皆さんがカラオケや踊り(地域伝統の「傘踊り」というものがあります)などを楽しむ「小川の郷 冬まつり」というイベントが開催されています。その発端となったのが、1996年の年末に実施されたクリスマスツリーの電飾でした。

 

 この時点では、単にメタセコイアの木に電飾を飾るだけのイベントでしたが、その後、年を経るに連れ規模が大きくなり、今ではすっかり恒例のイベントとして地域に定着しています。詳細は、下記のリンク先にある「小川の郷づくり会」のFacebookをご覧ください。(下記のチラシはFacebookに掲載されていた2019年のものです)
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山あいのクリスマスツリー
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 私の住む野上町小川地区の活性化に取り組む若者グループ「すすきの会」が、昨年(1996年)のクリスマスに大きなクリスマスツリーを飾り付けました。

 場所は私の母校である小川小学校の校庭。この小学校のシンボル的存在である樹齢数十年(何年になるんだろう?)メタセコイアの樹に数百個の電球を取り付けて、リレーを仕掛けて順番に点滅させ、見事なクリスマスツリーにしてしまいました。

 

 当初は「すすきの会」の単独の行事として12月24日・25日の2日間だけ行う予定だったのですが、地元住民の評判が良く、地区の自治会から応援のために費用の一部を負担するという話も出て、12月30日・31日の2日間はオールナイトで点灯することになりました。

 

 ツリーの横に描かれた文字のように、このツリーは小川地区の人々に「夢」を与えてくれたのでしょうか。

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 小川小学校のイルミネーションイベントは、和歌山大学観光学部が実施している「地域インターンシッププログラム(LIP)」でも取り上げられています。下記のWebサイトにある同プログラムの「紀美野町」の活動報告書には、このイルミネーションに関わった学生の活動について次のように記載されています。

 2つ目は、冬まつりである。冬まつりも秋祭り同様準備段階からお手伝いをしてきた。小川小学校にある35メートルと25メートルのメタセコイヤのイルミネーション飾りつけに加え、グラウンドにたくさんの竹灯籠を並べた。また当日のお餅まきに向けて前日に餅つきに参加した学生もいた。当日の内容としては、1回生はカラオケ大会の司会を担当し、2・3回生は秋祭りと同じく焼き鳥の販売に加え、ぜんざいの販売などのお手伝いをした。一緒に活動している小川の郷づくり会の会員さん以外の地域の方々と会う貴重な機会であったが、そこで積極的に話をする余裕がなかったことが課題として挙げられた。また冬まつりに参加した多くの学生が風の森という民泊施設に泊まった。
 最後に、1月末に学生から役場の方に依頼をし、冬まつりでの課題に取り組むべく、まち歩きを実施した。まずは地域について知らなければどのようにLIPとして学生が活動をするべきかわからないという意見が学生内で多くあったことから、地域のお宅を二軒訪問させて頂き、小川地区の歴史についてお話を伺った。
2018年度LIP 実施プログラム一覧 | 和歌山大学
 

 

 メタセコイアは、植物学者の三木茂氏が和歌山県橋本市東家山付近で球果の化石、岐阜県土岐市で小枝の化石を採取して、昭和16年(1941)に新属として学名登録を行ったものです。当時は既に絶滅した種であると考えられていましたが、昭和21年(1946)に中国で現存していることが判明し、「生きた化石」として一躍脚光を浴びることになったのです。その後、この原生種がアメリカで育成されて昭和25年(1950)に苗木100本が三木博士の設立した「メタセコイア保存会」に送られ、さらに同会が育成した苗木が全国に頒布されました。こうしたことを考えると、小川小学校のメタセコイアの樹は、おそらく昭和30年(1955)頃に植えられたものと考えられます。

参考:
くりんとの自然観察ガイド メタセコイアの森「菖蒲谷層」

塚腰実メタセコイアの発見と普及-三木 茂博士の発見から75年-(日本古生物学会「化石 Vol.100(2016)」)vol. 100 | Palaeontological Society of Japan