生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

小説・映画「亡国のイージス」(海上自衛隊由良基地)

 「フィクションの中の和歌山」というカテゴリーでは、小説や映画、アニメなどで取り上げられた和歌山の風景や人物などを順次取り上げています。

 

 今回は平成11年(1999)に講談社から出版された福井晴敏の小説「亡国のイージス(ぼうこくのイージス)」を紹介します。


 この小説では海上自衛隊イージス艦※1いそかぜ※2」を主要な舞台として物語が進んでいきますが、その序盤の重要な場面で由良町にある海上自衛隊由良基地が登場しています。また、小説をもとに制作された同名の映画(2005年公開「亡国のイージス」 監督:阪本順治 出演:真田広之寺尾聰中井貴一勝地涼ほか)においても、小説ほど明確ではないものの由良基地が登場しています。

※1 アメリカ海軍が1970年代に開発した高度な艦隊防空システムを備えた軍艦の名称。100以上の空中目標を同時に捕捉・追跡可能で、かつその中から脅威度が高いと判定された10個以上の目標を同時に迎撃できる。日本では平成5年(1993)に竣工した「こんごう」が最初のイージス艦で、現在まで8隻を建造、保有している。イージスシステム - Wikipedia
※2 架空の艦名。実在の海上自衛隊イージス艦よりも小型の「はたかぜ型護衛艦(基準排水量5,000t)」にミニ・イージスシステムを搭載した艦艇として描かれている。

 

 小説「亡国のイージス」は、ある防衛大学生が記した「守るべき国の形を見失ってしまった現在の日本では、いくら防衛力を増強したとしても、それは形骸化してしまった『亡国の盾(イージス※3』に過ぎないのではないか」という論文をきっかけに、某国工作員の策謀により自衛隊内部でイージス艦を乗っ取って政府に対する反乱を画策する動きが始まったのに対し、これを察知した防衛庁情報局(DAIS)※4から送り込まれた潜入工作員事件に巻き込まれた自衛隊の二人が最終的に力をあわせてこれを阻止する、という物語です。
※3 ギリシア神話においてありとあらゆる邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持つとされている防具のこと。一般的にはアイギス古代ギリシャ語: Αιγίς、ラテン文字転写: Aigis)と呼ばれ、楯、または肩当て・胸当てともされる。現在、日本語では艦隊防空システムを「イージス」、ギリシャ神話の防具を「アイギス」と表記することが一般的である。この論文(小説中の架空のもの)は「イージス艦の導入により無敵の盾を手に入れたとしても、守るべき国や国民が堕落してしまっては意味がない」と主張したものであった。
※4 福井晴敏作品にたびたび登場する架空の組織。通称は「ダイス」。国の治安及び安全保障を侵害する事態に対して一定の範囲で超法規的活動を許可されており、暗殺を含む非合法活動を容認されている。「亡国のイージス」の映画ではDAISの作戦指揮を執る内事本部長を佐藤浩市が演じた。なお、防衛庁防衛省に移行したのは平成19年(2007)のことであり、映画公開時点ではまだ防衛「庁」であった。
 
 同作は、小説ではあるもののハリウッド映画ばりのミリタリー描写やアクションシーンが満載の快作で、出版翌年の平成12年(2000)には日本推理作家協会賞日本冒険小説協会大賞大藪春彦賞の3賞を受賞しています。
 ちなみに、この小説は同じ作者の「川の深さは(2000 講談社※5」、「Twelve Y.O.(トゥエルブ ワイ オー 1998年 講談社※6」の続編として位置づけられており、今作でたびたび登場する「グソー(GUSOH 「後生」の沖縄方言読みで「あの世」「冥界」のこと)」という破滅的な化学兵器については前作の「Twelve Y.O.」においてより詳細に描写されていますので、できればこの順で3作を続けて読んだ方がより話が理解しやすいものと思います。
※5 単行本の発行は「亡国のイージス」より後だが、もともとは1997年の第43回江戸川乱歩賞に応募した作品であり、実質的に福井晴敏の処女作といえる。川の深さは - Wikipedia
※6 福井晴敏のデビュー作となった作品。第44回江戸川乱歩賞を受賞した。Twelve Y. O. - Wikipedia


 こうしたストーリーの序盤で、乗っ取りの標的とされたイージス艦いそかぜ」が訓練航海中に一時寄港するのが由良港です。以前、「由良のお天気博士 ~由良町網代~ 」の項でも紹介しましたが、由良港には海上自衛隊呉地方隊阪神基地隊隷下に属する由良基地が置かれています。

 

 阪神基地隊のWebサイトでは由良基地に配備されている由良基地分遣隊の役割について次のように紹介されており、現在の主な任務は潜水艦の海上公試(船舶建造の最終段階で行う性能試験)の支援のほか、紀伊水道周辺の前進補給基地としての役割も担っているとのことです。

由良基地分遣隊
 由良基地分遣隊は、昭和27年の大阪航路啓開隊発足と同時に大阪航路啓開隊本部由良基地として由良湾の奥深く旧海軍紀伊防備隊の跡地の一部を使用し発足しました。
 昭和35年以降、神戸で建造される潜水艦の海上公試等の支援が開始され現在も継続して実施しています。また、紀伊水道周辺の前進補給基地として、艦艇等寄港時の各種支援を担当しています。
 最近は、南海地震の発生が予測され、和歌山県における災害派遣の拠点として、ますます基地の意義は大きくなっています。

活動報告 - 海上自衛隊 阪神基地隊

 

 さて、それでは「亡国のイージス」において由良基地とその周辺がどのように描かれているか見ていきたいと思います。


 イージスシステムを搭載し、在来型の護衛艦よりも防空能力が格段に高められた「いそかぜ」は紀伊半島南部の太平洋で訓練航海を行った後、次の訓練に向かう前に僚艦「うらかぜ」と合流して補給のために由良港へと入港します。その間に「いそかぜ」艦内では若い乗組員の如月行(きさらぎ こう 映画では勝地涼と先輩の田所祐がささいな原因でケンカ沙汰を起こしてしまったため、先任伍長※7仙石恒史(映画では真田広之が二人の仲裁にはいり、厳重な処分を主張する上官をなんとかなだめてようやく事態を収めるという「事件」が発生していました。
※7 海上自衛隊において、幹部にあたる「士官」より一階級下に位置する「海曹」のうち最古参の者を指す名称。上官にも意見できる例外的立場にあるとされる。艦長より怖い海自の先任伍長って何者? 

 午後三時二十分。予定より四十分早く、《いそかぜ》と《うらかぜ》からなる第六十五護衛隊は由良に入港した。
 紀伊半島の西側中腹に位置する由良湾は、周囲を陸地で囲まれた直径一キロ少しの入り江で、一応由良基地分遣隊が常駐しているものの、港の規模はそれほど大きなものではない。この時は輸送艦が先に停泊していたので、《いそかぜ》と《うらかぜ》は「目刺し」停泊することを余儀なくされた。
 《いそかぜ》が先に埠頭(バース)に付き、それを挟んで《うらかぜ》が停泊する。舳先を並べる二艦を上から見ればまさに目刺しで、《うらかぜ》のクルーは、上陸時には《いそかぜ》の甲板を通って舷門に向かうことになる。

 由良基地に停泊した後、《いそかぜ》の艦長・宮津弘隆(映画では寺尾聰宮津を演じているが、役職は「副長」に変更されている)らは早速上陸して由良の町へ繰り出します。

 もやい作業の喧噪が終わるのを見届けた後、燃料や糧食、水の補給に関する艦長決済の事務仕事を済ませた宮津は、停泊当直以外の全幹部を引き連れて上陸した。部内では単縦陣と呼ばれる風景で、艦長以下、その艦の幹部たちが揃って飲みに出かけるのは、艦内の結束を固め、他の艦との親交を深めるという名目で、艦隊では推奨されていることだった。
 真夏の猛威を振う太陽が岬の陰に隠れると、山から吹き下ろす風が入り江に一時の涼をもたらすようになった。船体中ほどから下ろされた舷梯(げんてい)の鉄階段を下り、バースのコンクリに足をつけた宮津は、先に上陸していた衣笠秀明一佐の出迎えを受けた。
うちの隊付(たいつき)が、いい店を知っているそうだ。行ってみようじゃないか
 第六十五護衛隊司令として《うらかぜ》に座乗する衣笠は、そう言って潮焼けの染みついた顔をほころばせた。太り肉の体躯に、巌の面相をのせた風貌から、いかにも海で鍛えられた者の空気を発する衣笠は、宮津の三期先輩にあたる防大出身の生え抜き幹部だ。 来年は防大の主任教授に招聘される予定で、これが最後の海上勤務になる司令職を精力的にこなしている。少し前までは自分も持っていたはずの雰囲気に、なにかしら気圧されるものを感じながら、宮津は「お供させていただきます」とだけ答えた。
 衣笠の後ろには司令補佐を務める隊付幕僚の一尉が立っており、その肩越しに艦長阿久津徹男二佐を始め、《うらかぜ》の主立った幹部が集まっているのも見えた。向こうも単縦陣で来たらしい。そのまま分遣隊基地の衛門まで歩いた一行は、門前に待たせたタクシーに分乗して夕暮れの由良に繰り出していった。
 港前の歩道には、基地内で私服に着替えたクルーが同じように町を目指して歩く姿がある。

 宮津ら幹部とは別に町に出た田所ら「いそかぜ」のクルーの中には、田所とケンカしたばかりの如月の姿もありました。

 由良には分遣隊と湾を分け合う小さな漁港と、そこで働く人々が暮らす小さな町がある。観光業者の手も入っていない、生活を維持するために必要なものだけが集まった由良町の一角。町外れにあるカラオケ・スナックのカウンターで、如月行は五杯目の水割りを前にしていた。

 他のクルー達の浮かれ騒ぎには距離を置いていた如月でしたが、地元のチンピラ風の男達田所らに突っかかってきたことから始まったいさかいの末に相手がバタフライナイフを取り出そうとしたことに気づいた途端、理性を失ったかのように立ち上がってまたたくまに5人を完膚なきまでに叩きのめしてしまったのです。
 人前で傷害事件を起こしてしまったのですから、当然現場には警察官がやってきます。その知らせを受けた仙石もやむなく現場へ駆けつけることとなりました。
 現場では如月田所が警官に事情聴取のため連れて行かれようとするところでしたが、昇任試験を控えた田所がこれ以上揉め事を起こしては彼の将来に関わると考えた仙石は必死の思いで事件を穏便に済ませようとこれをくい止めにかかります。

 仙石は「ちょっと待ってください!」の大声と一緒にその行く手を阻んだ。
お願いします! そこをなんとか、穏便に。二人の将来がかかってるんです
いや、そない言われても・・・・・・
頼みます。この通り・・・・・・!
 その場に膝をつき、額をアスファルトに押しつけた。考えてしたことではなかった。娑婆では小指の先ほどの価値もない先任伍長の肩書きを自覚している体が、自然にしたことだった。周囲の目を気にする余裕もなかった。
(中略)
頼みます、こいつ悪くないんです。おれを庇っただけです。勘弁してやってください」と言うと、田所もその場に正座し、頭を地べたにつけていた。
 不意に熱い塊がのど元までこみ上げてきて、仙石ももういちど額を地面に押しつけた。
おいおい、あんたら・・・」と困り果てた巡査長の声が聞こえた後、周囲はしばらく森閑とした空気に包まれた。
 どれくらいそうしていたのか。「・・・・・・おい、おまえ。いい先輩たち持ったな」という声が頭上を行き過ぎて、仙石は顔を上げた。の肩をぽんと叩き、こちらに向かって小さく頷いた巡査長は、次の瞬間には形相を一変させて、「おい、おまえら!!」と壁際に並ぶチンピラたちを怒鳴りつけた。
こんど悪さしたら問答無用やぞ。ええな?
 そして、縮み上がったチンピラたちを背に、「帰るぞ」と相棒の巡査に言った。散り始めた野次馬に混じって自転車に向かうその背中に、巡査は「ちょ、ちょっといいんですか?」と追いすがる。
もう無線入れちゃってるんですよ
ええ。わしがちゃんと話す。・・・・・あいつらの名前と住所、控えたんやろな?
 チンピラたちを顎でしゃくった巡査長に、すっかり連行するつもりでいたらしい巡査はしぶしぶ引き下がっていった。自転車のストッパーを外し、こちらに引き返してきた巡査長は、「さ、ええ加減立ちなさい」 となんの含みもない微笑を見せた。
 呆然と事の成り行きを見ていた体を起こすと、田所も立ち上がって仙石の隣に並んだ。巡査長は「こんなん、わし弱くてな・・・・・」と後頭部を掻いてから、田所の頭を一回ずつ軽く小突いた。
おまえら、あんまり隊長さんを困らせるんやないぞ

 SNSによる相互監視の眼が全国津々浦々に浸透している現在では警察官がこんな勝手な裁量を行うとすぐに晒されて叩かれるのかもしれませんが、やはり時と場合によってはこうした「粋な計らい」というものがあって良いのではないかと思いますよね。和歌山県警の巡査長、なかなか良い人です。

 

 ともかく、この事件(これと並行して仙石・如月の二人とも絵を描くことを趣味としていることがわかるエピソードも語られます)がきっかけになって仙石如月との関係が微妙に変化したことが、これ以後の物語の展開に大きく影響を与えていくことになります。

 そしてもう一つ。由良基地を出港する直前に「いそかぜ」に乗船してきたのが溝口哲也訓練科長(映画では中井貴一率いる海上訓練指導隊のメンバー23名です。この隊はベテランの幹部と海曹からなる教育集団で、評価対象の艦に乗り込んで砲雷や航海など各術科の訓練を指導・採点することを目的としており、今回は新設のミニ・イージスシステムのチェックもあり通常以上の人員と機材で乗り込んできたというのですが、どうもその行動には不審なところが・・・・


 ということで、概ねこの由良基地を出港したところで物語の主要人物が勢揃いしました。映画版の登場人物でいうと次のような顔ぶれとなります。
  艦長(映画では副長) 宮津弘隆寺尾聰
  先任伍長       仙石恒史真田広之
  一等海士       如月行勝地涼
  海上訓練指導隊訓練科長 溝口哲也中井貴一
 さて、誰が味方で誰が敵か? 誰が防衛庁情報部の人間で、誰が某国工作員か?
 緊迫の航海がはじまったのです・・・
 

 物語のストーリーを紹介するのがこのブログの本旨ではありませんので、結末が気になる方はぜひ小説を手にとってご一読ください。
 ちなみに、映画版では、小説版においてストーリーの肝となっている防衛大学生の論文の扱いがかなり簡略化されていたり、時間の制約か登場人物の背景描写が省略されているためにそれぞれの行動に至る理由が判りにくかったりするので、できれば小説を先に読んでから映画を観ることをお勧めします。ストーリーもだいぶ異なっているので、小説を踏まえて「ああ、ここをこう変えたのね」と思いながら映画を観る方がより楽しめると思います。(実は、映画版はあんまり評価が高くないのが残念なところです)

eiga.com

 

 私個人的には、映画にも登場する序盤の由良町内でのチンピラとのケンカのシーンで、場所は明示されていなかったものの駆けつけた警察官の台詞が一瞬ながら見事な和歌山弁だったことに大受けしたのですが・・・