生石高原の麓から

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鈴木屋敷 ~海南市藤白~

 藤白神社の境内に「鈴木屋敷」というのがある。全国の「鈴木姓」の総本家といい、ルーツブームに乗って、全国から大勢の人が訪れるようになった。

 

  祖先は、饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫、千翁命(ちおきなのみこと)。神武東征の際、天皇に稲を献じたので「穂積」の姓を賜わったが、稲を積み重ねたのを「すずき」といったところから「鈴木」姓になったという。
 異説として、ナギの木に鈴を付けて馬印としたためというのもある。

 

 熊野古道に近い屋敷は、室町時代の様式を伝え、庭は平安期に流行した「曲水泉」。全国でわずか三力所だけという、貴重な庭園だ。

 (出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

  • 本文中「ルーツブーム」とは、アメリカのテレビドラマ「ルーツ(Roots)」をきっかけにして、自分自身と家族の歴史を知ろうとする取り組みが世界的なブームとなったことを指す。
  • 「ルーツ」はアレックス・ヘイリー原作の小説「ルーツ(Roots: The Saga of an American Family)」をもとにアメリカABCが1977年に制作、放送したテレビドラマで、全8話の平均視聴率が44.9%という空前のヒット作となった。同年に日本でも放送され、平均視聴率23.4%を獲得している。内容は、作者が自らの先祖の歴史を探ったもので、西アフリカのガンビアで生まれた黒人少年クンタ・キンテが強制的にアメリカへ連行されたことに始まる親子3代の黒人奴隷の物語を描いたもの。これ以降、世界中で自分の先祖への興味が急速に高まることとなった。「自分のルーツを探る」という言葉は、このドラマをきっかけとして一般に定着したものである。
  • 鈴木」姓は、平安時代前期に熊野速玉大社(くまの はやたま たいしゃ)の一禰宜を務めた穂積国興の次男(三男との説もある)が鈴木基行(すずき もとゆき、865~926)を名乗ったのがはじまりとされる。また、基行には榎本真俊宇井基成という兄がいて、それぞれ榎本氏、宇井氏という有力な家系を興したとの伝承があり、鈴木氏、榎本氏、宇井氏の三氏をあわせて「熊野三党」と呼ぶ。
  • 熊野三党の家系は熊野速玉大社の神職を代々務めたが、中でも鈴木氏は太平洋の海上交通を利用して東日本を中心に全国へ熊野信仰を広めていった。この際、鈴木氏の一族が神官として各地に移住したことが、全国に鈴木姓が定着する大きなきっかけとなった。
  • 12世紀頃、藤代王子(ふじしろおうじ)を擁する白神社(ふじしろじんじゃ)の神官として鈴木氏の宗家が移り住んで以降、同神社の神職は代々鈴木氏が務めることとなった。
  • 藤代王子にはかつて熊野詣の「一の鳥居」があり、ここから聖域が始まると考えられていたことから、熊野古道にある王子社(熊野古道沿いに設けられた休憩所・遥拝所)の中でも特に格式の高い「五体王子」に位置付けられており、その神職は重要な役割を担うものであった(他の五体王子は切目王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子とするのが一般的)。
  • 昭和17年(1942年)、第122代当主鈴木三郎重吉氏が急死し、子がいなかったため鈴木氏宗家の家系は断絶となった。
  • 昭和55年(1980)、当時大人気であったNHK鈴木健二アナウンサーを代表に「全国鈴木さん初詣で」と題して、全国の鈴木姓の人だけを集めて、天王寺駅から海南駅まで国鉄の特別列車に乗車して藤白神社に参詣した様子がNHKで全国放映された。これにより、藤白神社の神官が全国の鈴木姓の宗家であったことが広く知られるようになった。
  • 平成8年(1996)に開催された和歌山県主催の「ふるさと誕生日イベントin海南市」では、ゲストとして鈴木蘭々が来場し、ミニライブを開催した。当時、鈴木蘭々はチョーヤ、日本リーバ、スズキ、ローソン、学生援護会、森永製菓、太田胃散など各社のコマーシャルに出演しており、「新CMの女王」とも呼ばれていたが、主催スタッフが「鈴木姓発祥の地」であることにこだわってスケジュール調整に奔走したという。
  • 平成10年(1998)、秋田県羽後町にある源義経の家臣、鈴木三郎重家の家系を継ぐとされる鈴木家で「第一回全国鈴木サミット」が開催された。その後、このサミットは平成11年(1999)の第二回が海南市、平成13年(2001)の第三回が石川県鳥越村、平成14年(2002)の第四回と平成16年(2004)の第五回が海南市、平成18年(2006)の第六回が熊本県天草市、平成25年(2013)の第七回が海南市でそれぞれ開催された。このうち、第七回の「鈴木サミット&フォーラム」では、スズキ自動車鈴木修会長兼社長(当時)が基調講演を行った。
  • 本文執筆時に現存していた建物は江戸時代後期の建築と考えられ、当時の姿は江戸時代の地誌書「紀伊国名所図会」に詳しく描かれているが、平成後期には老朽化が著しく崩壊寸前となっていた。
  • 平成27年(2015)に鈴木屋敷を含む「藤白王子跡」が国の史跡熊野参詣道紀伊路)に指定されたことから、藤白神社・海南商工会議所を中心として構成する「鈴木屋敷復元の会」が主体となり、国・県・市の補助を受けて鈴木屋敷の再生・復元にむけた取り組みが具体化した。関東地方を中心とする鈴木姓の同族会「関東藤白鈴木会」の協力や、海南市の呼びかけによるクラウドファンディングなども組み合わせて広く支援を募っている。令和2年(2020)春現在では解体調査が完了したところで、復元完了は令和3年(2021)度末を目標にしている。

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。