生石高原の麓から

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軍道の腰神さん ~印南町崎の原~

  ギックリ腰に悩む人や、お年寄りに人気があるという、風変わりな神さまがいる。崎の原の「腰神さん」だ。

 

 建武中輿(1334年)で活躍した護良親王が、崎の原の軍道まできたとき、乗っていた馬が腰をいためてしまった。やむなく愛馬を葬ったが、あとでそれが親王だったと気づいた里人たちが「せめて、お馬の霊をなぐさめたい」と、馬に似た岩をご神体にして祠をつくったのがはじまりとか。その後いつのころからか、細い青竹で作った竹馬を持ってお参りすると、腰痛がなおるといわれるようになったとも。


 一説には、親王を幕うあまり馬がそのまま化石となり、その霊が、同じ苦しみの人を救ってくれるのだともいう。

 

護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう)は後醍醐天皇の皇子。若くして天台座主となり、大塔宮(おおとうのみや、だいとうのみや)とも呼ばれたが、後醍醐天皇が倒幕に立ち上がったことからこれに呼応。天皇隠岐に配流されてからは、熊野や十津川に潜行し、倒幕運動を指揮した。鎌倉幕府が倒れ、建武の新政が始まった時には征夷大将軍兵部卿に任ぜられたにも関わらず、後に後醍醐天皇との確執が生じ、鎌倉で幽閉され謀殺された。かつて存在した和歌山県大塔村(現在の田辺市大塔)、奈良県大塔村(現在の五條市大塔町)はいずれも護良親王の名にちなんで命名されたもの。

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(※印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。