生石高原の麓から

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弁天さんの餅まき

 「旧小川村の伝承」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、旧小川村(現在の紀美野町小川地区)に伝わる故事や行事に関わるものを再掲するとともに、必要に応じて注釈などを追加していきます。

 

 今回は、坂本地区で祀られている「弁天さん」で毎年行われている餅まきの様子を紹介します。

 和歌山県では、神社の祭礼や各種イベントなど、人の集まる行事には必ずといってよいほど餅まきが行われており、「餅まきの聖地」とも呼ばれています。これについては、別項「子守の不動さんの餅まき」で詳しく解説していますので、興味のある方はこちらもご覧ください。
子守の不動さんの餅まき - 生石高原の麓から

 以下に紹介するのは2000年代前半(おそらく平成15年(2003)と思われます)の餅まきの様子です。

 

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弁天さんの餅まき


 由来は不明だが、坂本集落から谷をはさんだ向かいの山の中腹に通称「弁天さん」と呼ばれる弁財天神社が祀られている。
 この社の前には小さな広場があり、毎年11月にはここで餅まきが行われる。

 

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 餅は、地区の集会所で2、3日前についておく。
 当日は、役員が集会所に集まって、簡単な食事をつまみながら酒を飲み景気づけを行う。
 そして、時間がくれば餅を入れた桶を竹竿に結わえ付け、竿を担ぐもの、竿に結びつけた縄を引くもの、さらには途中で休憩するための酒やつまみを運ぶものも加えてにぎやかに道中を開始する。

 

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 酔いが回れば足下もふらつく。
 道を間違えるもの、正しい道へ無理矢理押し戻すもの、それぞれが譲らなければ餅はあらぬ方角へと進んでしまう。まあ、それもまた楽しいもの。

 

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 集会場から弁天さんまでの道のりは2Km弱というところか。
 運び手に酒が入れば歩みの速度はどんどん遅くなる。
 道行きが進むにつれて拾い手も徐々に列に加わり、途中で何度か取られる休憩時には、つまみや酒が次々とふるまわれ、時ならぬ道端での宴席が始まる。

 

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 1時間近くをかけた道行きがようやく弁天さんに到着すると、社に餅を備え、参加者全員で般若心経を唱和する。
 般若心経といえば仏教の経典として知られているが、神仏習合の進んだ現代の日本では神道においてもしばしば用いられる重要な教典なのである。

 

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 いよいよ餅まきの始まり。
 「餅まき」とはいえ、まかれるのは餅だけとは限らない。子ども向けには駄菓子やスナックなどの菓子類も用意されている。

 

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 まかれる餅の中には、「福」「寿」などといった文字が入った縁起物のほか、食紅で番号が描かれた餅も含まれている。
 餅まき終了後、この番号に応じて景品が当たる仕組みになっており、この景品交換も楽しみの一つである。

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 上記本文にも書かれているように「弁天さん」の由緒等は不詳ですが、旧野上町が昭和60年(1985)に発行した「野上町誌」の「町内の祠堂」の項に次のような記述があります。

坂本

弁天さん
小祠、年一回 秋の亥の子(筆者注:いのこ 旧暦10月の最初の亥の日)に餅投げを行う。坂本区において維持管理

 

 「弁天さん弁才天」は、もともとはサラスバティーというヒンドゥー教の水の神様ですが、これが仏教に取り入れられて金光明最勝王経という国家鎮護を願う経典の守護神護法神へと変化します。そして、この弁才天の陀羅尼(だらに 聖なる言葉)を唱えれば所願が成就し、財を求めれば多くの財を得られると説かれるようになったことから、弁才天福徳をもたらす仏とみなされるようになり、「弁財天」とも表記されるようになりました。
 さらに、弁財天は神道とも融合し「七福神」の一員として位置づけられるようになったほか、日本の代表的な海上(女神)である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと  宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一柱)と同一神であるとの信仰も生まれました。
弁才天 - Wikipedia

 

 このように、現代では主に財産をもたらす神(仏)として信仰されている弁天さんですが、この地に弁天さんが祀られたという経緯がどうもはっきりとしません。上記で紹介した「野上町誌」には江戸時代後期に編纂された地誌「紀伊風土記」に記載されている神社及び小祠の一覧表が掲載されているのですが、このうち「坂本村」の項には次のような記述があるのみで弁天社に関する記載は全くありません。

坂本村

神社
大将軍社
 庁
 末社
  住吉明神
  熊野権現
  大神宮三扉

小祠
 八幡宮
 里神森
 庚申社

 また、明治時代に行われた神社合祀政策により旧小川村では各大字ごとにあった小規模な神社を全て小川八幡神社に合祀しましたが、「野上町誌」によればこの際の記録にも弁天社の名前は登場していません。

県・村社及び合祀神社一覧表(抄)

小川八幡神社に合祀された神社

(略)

 熊野神社  阪本字大神宮奥鎮座
 大将軍神社   元右熊野神社境内神社 
 皇大神社  元右同
 稲荷神社  元右同
 住吉神社  元右同
 八幡神社  阪本字岡垣内鎮座
 八幡神社  阪本字井戸ノ谷鎮座
 稲荷神社  阪本字中筋鎮座
 八幡神社  阪本字東尾鎮座
 皇大神社  阪本字蓑垣内鎮座
 妙見神社  阪本字堂ノ平鎮座
 八幡神社  阪本字蓑垣内鎮座
 四社明神社   阪本字久保垣内鎮座

(以下略)

 所在地から考えると、現在の弁天さんがある場所は上記の表に掲げられた熊野神社及び境内社(大将軍神社、皇大神社、稲荷神社、住吉神社のあった場所と考えられますが、これらの神社に弁才天と直接関わりのある神社は含まれていません。
 あえて考えるとすれば、境内社のうち住吉神社の祭神綿津見三神底津綿津見神中津綿津見神上津綿津見神及び住吉三神底筒之男神中筒之男神上筒之男神は航海安全の神として知られており、海の神であるという点で水神をルーツとする弁才天とは共通しています。しかも弁才天は上述のように神様でありながら仏としても祀られていますので、もしかすると明治時代の神社合祀の際、住吉神社に代えて同じ水神である弁才天を「仏」として祀ることで、信仰の地であるこの場所を守ろうとしたのかもしれません。

 

 ちなみに、紀伊風土記において坂本村産土神(うぶすながみ 地域の守護神)と位置づけられている「大将軍社」というのは、陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一柱と位置づけられている大将軍神を祀る神社です。伝承によれば、大将軍神は3年ごとに居場所を変えるとされ、物事をなす際にこの大将軍の方位を選ぶことは禁忌と考えられました。どうしてもその方位を選ばなければならないときは、大将軍を祀り、祭事を行うことで災いを避けようとしたのです。そして、各地でこうした祭事を行うために社が設けられ、これが大将軍社となっていったと考えられます。
大将軍 (方位神) - Wikipedia

 

 また、この祠がある場所の地名(小字名)は「大神宮奥(だいじくおく)」と言い、祠の前にある田の通称名を「大神宮前(だいじぐまえ)」と言うことを考えると、かつての大将軍社は「大神宮」と称せられるほど規模の大きい神社であったのかもしれません。