生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

子守の不動さんの餅まき

 「旧小川村の伝承」のカテゴリーでは、過去の個人サイトに掲載していた記事のうち、旧小川村(現在の紀美野町小川地区)に伝わる故事や行事に関わるものを再掲するとともに、必要に応じて注釈などを追加していきます。

 

 今回は、前項で紹介した「子守不動」で毎年行われていた餅まきに関する記事です。

 子守不動には、近隣の豪族に謀殺された興津権之丞(詳しくは「紀州 民話の旅」カテゴリー中「興津権之丞」の項を参照してください)に仕えていた子守の女が、権之丞の子供を匿ってここに隠れ住んでいたという伝承があります。
興津権之丞 ~野上町(現紀美野町)奥佐々~ - 生石高原の麓から

 これが転じて、地元ではこの不動さんが子供の安全と幸福を守ってくれると信じられており、これを祈願した祭礼として地域住民によって毎年2月に餅まきが行われていました。残念ながら、この餅まきは関係者の高齢化と子供の数の減少により、平成30年(2018)をもって終了してしまいましたが、過去の個人サイトでは平成16年(2004)2月28日に行われた餅まきの様子が紹介されていましたので、この記事を再掲します。

-----------------------------------------------------------
子守の不動さんの餅まき

 子守不動は、地元の人たちからは「子守の不動さん」と呼ばれて親しまれている。
 この不動さんは、子供の安全と幸福の守り神として慕われており、この祈願のために毎年2月に餅まきが行われている。

f:id:oishikogen_fumoto:20220111102839j:plain

 子守の不動さんは、在所と在所を結ぶ細い小道から少し入ったところにひっそりと佇んでいる。
 背後には小さな滝があり、伝説にいう子守の女が隠れ住んでいたのではないかと思われる岩陰の窪地がある。とはいえ、非常に狭い場所であり、本当にここに住んでいたとすれば、それほど長期の話では無かったのだろう。

f:id:oishikogen_fumoto:20220111102902j:plain

 不動さんの餅まきは毎年2月の後半に行われている。寒い時期でもあり、参加者には清酒や甘酒が振る舞われる。

f:id:oishikogen_fumoto:20220111103037j:plain

 餅まきは、地域にとっては大きなイベントである。
 餅まきが始まるまでは、道ばたに座り込んで甘酒を飲みながら、それぞれに話の輪が広がる。

f:id:oishikogen_fumoto:20220111103108j:plain

 「餅まき」とはいうものの、不動さんの餅まきでは餅以外のものも多くまかれる。子供向けの袋菓子が多いが、中にはインスタントラーメンなども含まれている。

f:id:oishikogen_fumoto:20220111103125j:plain

 いよいよ餅まきの始まり。
 不動さんの前は狭いため、餅まきは近くの民家の庭を借りて行われる。軽トラックの荷台が櫓代わりに使われているのは、田舎ならではのご愛敬というところか。

f:id:oishikogen_fumoto:20220111103145j:plain

 袋いっぱいに戦利品(笑)を持つ子供たち。
 子供の数は徐々に少なくなってきているが、それがかえって子供一人あたりの「取り分」の多さにつながっているということか。とりあえず、この日集まった子供たちは大喜びで帰路についていった。

-----------------------------------------------------------

 祭礼やイベントの際に餅まき(餅投げ)を行うことは和歌山県内ではごくありふれたことなのですが、全国的に見ると上棟式など非常に限られた機会にしか行われていない行事とされています。国立国会図書館が運営する「レファレンス協同データベース」というサイトでは、「餅投げ」について「上棟式で行われる儀式」と回答されており、そり出展について次のように解説しています。

質問
 餅投げについて調べたい。

回答
 上棟式で行われる儀式で、散餅銭の儀という。災禍を祓うと同時に、福を分け与えるという意味がある。


回答プロセス    
 蔵書検索で「もちなげ」を検索したが該当する資料は見つからなかった。
 インターネットで検索したところ上棟式で行われる神事であることがわかったため、神道関係の資料を確認。

『ゼロから始める神社と祭り入門』(p182)
施主が銭貨や餅をまいて、それを近所の人々が拾う「散餅の儀」は、「餅まき」として親しまれる。古くは、家を建てる棟梁が主催する祝いの行事であったとされ、現代においても、工事が順調に進んでいることを祝うための、晴れがましく威勢のよい儀式である。

『「神社と神さま」がよくわかる本』(p139)
建物の骨格部分ができたなら、神のいっそうの加護を祈願するため上棟式をおこなう。文字どおり、中心になるのは、棟木の棟にひきあげる曳き綱の儀と、棟木を棟に打ちはめる槌打ちの儀で、それが終わると、餅や銭をまく散餅銭の儀となる。災禍を祓うと同時に、福を分け与えるという意味がある。

『神社と神様がよ~くわかる本』(p172)
上棟祭では、餅や穴の開いた小銭をまいて災いを除く「散餅」「参銭」(散米銭)が行われる。

 

民俗学関係の資料も確認した。

『定本 柳田国男集 第21巻』(p466)

どうして又餅の如くめでたい大切な食物を、いくら拾ふ人が有るからとても、土の上に撒き散らすことになつたのか。少なくともこれが國の初めからの、慣行のまゝで無かつたことは推定してよいのではあるまいか。最初は多分この日の祭の供物を、居合はす人々の總員に分配して、ともどもに食べてもらふのが本意であつたのが、後々参加者の數が增して來て、かうでもしないと行き渡らせることが、出來なくなつたものかと思はれる。
以前の祭には、一般に参列する者が多く、又それを信仰の大きな力とも解して居たやうだが、その中でも建築は殊に衆人の意志と希望とが、集まれば集まるほど鞏固になるものと言つたやうな感じが、今でもまだ幽かには殘つて居る。
………
神社の祭典にも、わざわざ群衆に向かつて餅を撒く例が、まだ二三の地方には保存せられ居る。是も人寄せが決して目的では無くて、もとは寧ろ餘りに多く御参りの人が來るので、斯うでもしなければいはゆる直會の趣旨を、徹底することが出來ぬと思つたからであらう。東京その他の名有る御社では、御供と稱して紙に包んだ粉の菓子を、正式参拝の人に持たせて還す風習もあって、是も本來の趣旨は明らかに一つだが、もう今日では之を戴いて行く多勢の間に、最も重要なる信仰の協同ということが、意識せられては居らぬやうになつて居る。

crd.ndl.go.jp

 

 これに対し、和歌山県では神社の祭礼や各種イベントの際には必ずと言ってよいほど餅まきが行われています。これについて、和歌山市とその周辺地域を拠点とする地域情報誌「ニュース和歌山」の「和歌山謎解き代行社」というコーナー(2019年6月1日)には次のような解説が掲載されています。

 「和歌山でもちまきが多いのはなぜ?」。民俗学を研究する和歌山大学吉村旭輝特任准教授に聞きました。もちまき山口県高知県など、和歌山以外の地方都市でも盛んだそう。「昔、祭りで披露していた獅子舞や太鼓が過疎化で後継者不足となり衰退。出し物が減少しましたが、もちまきが客寄せ効果を生んでいたので、催しの目玉として現在も残っているのでは」と推測します。

 結婚式や開店祝いのほか、高野山大学では毎年の学祭で恒例となっています。ネットで情報を発信する県情報政策課の林清仁さんは「神様仏様に奉納するもちのおすそ分けにもちまきが行われ、〝お祝いや祭りにはもちまき〟と定着したんだと思います」。
もちまきが多いのはなぜ? | ニュース和歌山

 

 上記の記事でコメントを寄せている和歌山県氏は、平成24年(2012)に『「餅まきの聖地!」和歌山の餅まき情報』というWebサイトを作成しています。この当時、林氏が執筆者の一人となっていた「『ほっと!和歌山県』 ~和歌山県広報リレーブログ~」というブログでは上記サイトの開設を告知するとともに、NHK総合(全国放送)で放送された「オーストラリア人が見た mochimaki 餅まき」という番組についても紹介しています。
『「餅まきの聖地!」和歌山の餅まき情報』ホームページ開設!

 

 このように、和歌山県では「餅まき」と言えば老若男女を問わず「血わき肉おどる」実にエキサイティングなイベントと位置づけられているのです。「子守の不動さんの餅まき」はその歴史を終えることになりましたが、今日もまた和歌山県のどこかで餅まきが行われているのではないでしょうか。