生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

地球物理学者・田所雄介博士(「日本沈没」の登場人物)

 「フィクションの中の和歌山」というカテゴリーでは、小説や映画、アニメなどで取り上げられた和歌山の風景や人物などを順次取り上げていきたいと思います。

 

 今回は、小松左京の小説「日本沈没」に登場する地球物理学者で和歌山県出身とされている田所雄介(たどころ ゆうすけ)博士を紹介します。


 「日本沈没」はSF作家の小松左京が昭和48年(1973)に光文社カッパ・ノベルスから出版した小説で、上下巻合計で約400万部を売り上げて「空前の大ベストセラー」と評された作品です。


 作者の小松左京は昭和45年(1970)に開催された日本万国博覧会のブレーンとして活動するなど当時既にジャンルを超えた活躍をしていましたが、この作品の大ヒットにより国民的知名度を獲得することとなりました。

ja.wikipedia.org

 「日本沈没」は、端的に言ってしまえば「地球の局所的な地殻変動により日本列島がほぼ全面的に海中に沈んでしまうことが明らかになったことから、科学者や政治家が日本国民を安全に海外へ避難させようと尽力する物語」ということになるのですが、小松左京の小説ではこれに加えて「国土を失ってもなお『日本国民』としてのアイデンティティを保つことは可能か」といった深遠な命題が提示されて、第二部ではこれに続くストーリーが描かれることが示唆されていました。結局小松左京が続編を描くことはありませんでしたが、その志を継いだプロジェクトチームの手により平成18年(2006)に「日本沈没 第二部谷甲州小松左京著 小学館」が出版されています。

日本沈没 - Wikipedia

 

 小説が出版された後、この作品は実写映画化2回(1973,2006)、TVドラマ化2回(1974,2021)のほかラジオドラマ、漫画、Webアニメなど様々な媒体で取り上げられています。ちなみに、2006年の映画では日本の一部が水没したものの日本全体が沈没する事態は回避され、2021年のTVドラマでは九州・北海道が沈没を免れて中国でジャパンタウンの建設が始まるなど、そのストーリーは少しずつ形を変えていっているようです。

eiga.com

www.tbs.co.jp

 

 小松左京によるオリジナルの小説は今からちょうど50年前に出版されたものですが、その後我が国は阪神淡路、東日本という2度の大震災を経験し、それ以外にも数多の災害を乗り越えてきました。しかし、災害に対して人間の力はあまりにも弱く、これに対抗できる社会の力は50年が過ぎてもあまり大きく変化してはいないのかもしれません。それどころか、小説に登場する次のようなオプティミズム溢れるフレーズを読むと、現在の私たちは50年前と比べるとむしろ災害に対してより脆弱になってしまったのではないかとさえ思えてくるではありませんか。

 台風国であり、地震国であり、大雨も降れば大雪も降るという、この小さな、ごたごたした国では、自然災害との闘いは、伝統的に政治の重要な部分に組みこまれていた。だから多少不運な天災が重なっても、復旧はきわめてすみやかで活発におこなわれ、国民の中に、災害のたびにこれをのり越えて進む、異国人から見れば異様にさえ見えるオプティミズムが歴史的に培われており、日本はある意味では、震災や戦災や、とにかく大災厄のたびに面目一新し、大きく前進してきたのだった。---災厄は、何事につけても、新旧のラジカルな衝突をいやがる傾向にあるこの国にとって、むしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを地上から一掃する天の配剤として、うけとられてきたようなふしがある。

 

 さて、そんなオリジナルの「日本沈没」では小野寺俊夫という深海調査艇の操縦士が主人公として登場しますが、それよりもずっと強烈な存在として描かれているのが地球物理学者である田所雄介博士です。
 学会から遠ざけられ、外国の宗教団体が背景にいると噂される得体の知れない団体から研究資金の提供を受けて独自の研究を続ける田所博士について、博士の後輩の幸長助教はこう評しています。

研究に必要なら、悪魔からだって金をふんだくって突進する。“悪魔に負けなきゃいい”という信念だ。---日本の学界では、受け入れられるわけがない。・・・

 「悪魔から金をふんだくったって、悪魔に負けなきゃいい」という考え方が、いかにも「剛胆な研究者」然とした田所博士の信念を表しているようです。

 初期の映画・TVドラマ以外の作品ではリメイクにあたり主人公はさまざまな役柄に改められていますが、どの作品でもほぼ必ず田所博士は登場している(初期の映画・TVドラマでは小林桂樹、2006年の映画では豊川悦司、2021年のTVドラマでは香川照之がそれぞれ演じていた)ことを考えると、この作品の実質的な主人公は田所博士であると言っても過言ではないと思います。

 そんな田所博士は、冒頭でも記したように和歌山出身であることが作中で明記されていました。そこでは、幸長助教の口から、田所博士がいずれも和歌山県出身である紀伊国屋文左衛門※1南方熊楠※2湯川秀樹※3などと並ぶ「世間の常識では計り知れない天才」の系譜に属する人物であろうと語られています。

※1 紀文のふるさと ~湯浅町別所~ 
※2 南方熊楠紹介 – 南方熊楠記念館
※3 ノーベル賞物理学者・湯川秀樹

(略)
ぼくは、何となく、あの先生が好きなんだ。豪放で、天才肌で・・・昔はよくああいう豪快なタイプの学者がいたっていうが、今はめったにというより、全然いないな。学者はみんな、サラリーマンか官僚的になったしね
田所先生のご出身は、どこなんです?
和歌山だ。---あそこはふしぎな所だね。紀国屋文左衛門の伝統かしらんが、時々ああいう、スケールの大きい学者が出る。南方熊楠とか、湯川秀樹とか・・・
何をこそこそいうとるか・・・田所博士は、階段をおりきって、近づいて来ながらいった。「またわしの悪口だろう
ほめていたんです小野寺はクスッと笑いながらいった。

 そして物語の最終盤、影の実力者であり早い段階から田所博士を支援していたという老人から
あんた・・・この日本列島に恋をしていたのじゃな・・・」 
と看破された際、田所博士
・・・私ほど一途に・・・この島に惚れぬいたものはいないはずだ。この島が滅びるときに、この私がいてやらなければ・・・ほかに誰が・・・」 
と語ります。
 そう、この物語は、自分が恋した日本列島が死の病に冒されていることに世界で最初に気付いた田所博士が、その恋人の死を看取る過程で様々な苦悩を重ねる姿を描いた一種の壮大な「ラブストーリー」であったのです。

 

 残念ながら小説と初期の映画以外ではこうした田所博士の「(あるいは怨念)」のような描写がほぼ抜け落ちていて、派手な災害シーンを中心としたいわゆる「パニックもの」として受け取られることの多い作品なのですが、実際にこのオリジナルの小説版を読めば決して派手なだけではない、非常に情感溢れる作品だという印象を持つと思います。
 機会があればぜひ小説版をご一読ください。