生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

果しなき流れの果に(小松左京の小説)

 「フィクションの中の和歌山」というカテゴリーでは、小説や映画、アニメなどで取り上げられた和歌山の風景や人物などを順次取り上げています。

 

 前回はSF作家・小松左京のベストセラー「日本沈没」に登場する田所雄介博士が和歌山出身とされていたことを紹介しましたが、今回は同じく小松左京が書いた「果しなき流れの果に(はてしなき ながれのはてに)」という小説を紹介します。

 

 この小説には明確に和歌山が登場しているというわけではないのですが、大阪と和歌山の境にある和泉葛城山とおぼしき場所が重要な舞台となっており、この小説の出版当時(1965年)に小松左京が思い描いた同地周辺の未来風景がつぶさに記されている点が大変興味深いものとなっています。

果しなき流れの果に」は、SF専門誌「S-Fマガジン」の1965年2月号から11月号に連載された作品で、その翌年に早川書房の「日本SFシリーズ」から単行本として出版され、1973年創刊の「ハヤカワJA文庫」シリーズでは記念すべき1冊目として文庫化されました。「日本アパッチ族」、「復活の日」、「エスパイ」に続く小松左京4作目の長編にして最高傑作と評される作品で、上述の「S-Fマガジン」誌が1997年の「500号記念号」で発表した「日本SFオールタイムベスト」では1位、2014年の同「700号記念 オールタイム・ベストSF」の国内長編部門では2位(1位は伊藤計劃「ハーモニー」)に選出されています。
果しなき流れの果に - Wikipedia

 その内容は、10億年の時空を超えたミステリ・・・、といった内容になっており、SFに馴染みのない方にとってはかなりとっつきにくいかと思いますが、ざっと紹介すると次のような物語となっています。

 N大学理論物理研究所助手の野々村は、ある日、番匠谷教授から一つの砂時計を見せられた。
 葛城山の古墳から発掘されたというその砂時計は、奇妙なことに、間断なく砂が落下し続けているにも関わらず、上の砂はいつまでも無くならず、下の砂はいつまでたっても増えていかないのだった。
 その砂時計が埋まっていた古墳を調べてみると、その砂時計は古墳が作られた時代のものではなく、なんと6000万年以上も前、地上に恐竜が跋扈していた「白亜紀」の時代の地層に埋まっていたことが判った。
 やがて野々村は行方不明になり、事件は謎に包まれたまま人々から忘れられてしまうのだが、実はこの物語の陰には時空を越える「進化管理機構」の「超意識体」が関わっており、人類の進化にまつわる壮大な物語があったのだ・・

 

 このように、軽々と時間と空間を超越してみせる小松左京のアイデアと筆力は途方もないものなのですが、個人的な読みどころとしては、この物語の中で描かれる21世紀の葛城山周辺の風景に強く興味を惹かれました。
 実はこの小説の舞台となる「大阪南部にある葛城山」に該当する山としては「大和葛城山」「和泉葛城山」という二つの候補があり、小説中ではどちらの葛城山かは明記されていないのですが、冒頭近くで次のような会話が交わされていることを考えると、これは「和泉葛城山」であると断定して問題ないと思います。

いや--大阪の南の方だ。和歌山との境にちかい、K市って所・・・・・
あら 」と佐世子はびっくりしたようにいった。「それじゃ、私の故郷の近くだわ
君は、あっちの方かい?
ええ、うまれて子供のころまで、和歌山にいたわ。葛城山って山のふもと・・・・
野々村は、少しおどろいた。「やれやれ・・・・・」彼はつぶやいた。「妙な御縁だね。-その山の近くまで行くんだよ

 

 そんな「葛城山」周辺が21世紀にはどのようになっているのか、小松左京の描写を引用してみましょう。

葛城山に新しいトンネルがほられ、国道26号線が、十車線の、直線ハイウェイになった。アメリカで数年前に実用化されたという、ホバークラフトがはじめてそのハイウェイの上に姿をあらわしはじめ、コンバーター・プレーンが、観光用に和歌山や、このあたりにもとんでくる・・・

山々の景色も、少しはかわってきた。あの、和泉-金剛スカイラインがさらに延長され、二上山から、竜田川をまたいで、北の信貴山まで、巨大な橋をかけ、生駒-信貴のスカイラインと結ぶようになった・・・

八尾の飛行場が、第二大阪空港として大拡張され、百人のりの国内線コンバーター・プレーンや、中型ジェット機が発着した。モノレールや、エアカー専用ハイウェイができ、工場そっくりの大水耕農場が三つできた。多奈川に出力五十万キロワットの原子力発電所ができ、自動車道路は網の目のように走った。広域行政で『近畿州』ができ、市町村第二次統合で、大阪市という大都会が誕生し、農業地帯もだいぶ俗化した・・・

 

 最初の引用文に登場する「コンバーター・プレーン」というのは耳慣れない言葉ですが、「垂直離着陸のできるヘリコプターと、高速飛行ができる固定翼航空機の両方の利点を兼ね備えた航空機(コンバーチプレーン)」を意味するもので、現在のオスプレイのような航空機をイメージしていただけるとわかりやすいようです。
コンバーチプレーン - Wikipedia


 また、この当時はタイヤを使わずに空中に浮かんで走行する「エアカー」という乗り物が「未来の自動車」としてしばしば取り上げられていたので、上記の描写でも「ホバークラフト」や「エアカー」が登場しています。近年になって自動車サイズの小型航空機を「空飛ぶ自動車」と表現することが多いのは、その開発者たちがこの頃の「エアカー」の夢を現実のものにしようとして努力した結果であると考えれば納得できるのではないでしょうか。
エアカー - Wikipedia


 ちなみに、この物語の終盤には「2016年」という年号が出てきており、上記のような風景の描写はこの作品が書かれた1965年頃から50年後の世界を想定したものだと思われます。我々は既にその「50年後の未来」に生きているわけですが、どうやら小松左京の想像していた世界とはだいぶ様相が異なっているようです。
 こうした「未来絵図」は小松左京が描いた一種の「レトロ・フューチャー(過去の人が思い描いた未来)」である、と言ってしまえばそのとおりなのですが、とはいうものの、和泉山脈に沿って阪和自動車道が走り、京奈和自動車道にも繋がった現在の風景と照らし合わせてみると、少しは「果しなき流れの果に」の世界に近づいてきたのかなあ・・・という感慨が湧いてくるというものです。。