生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

旧小川村 昭和のはじめ頃

我が家のアルバムの中から、地元の昔の民俗や習慣を記録した写真をピックアップしてご紹介します。
 なお、これらの写真は地元の小学校の課外授業として私の父が行った講演を再構成したものですので、コメントは小学生を対象にした書き方になっています。

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大正時代から昭和のはじめにかけて人々の服装がおしゃれになりましたが、戦争が近づくにつれまた昔に戻ったような質素な服装になっていきます。

 

大阪のおしゃれがだんだんと人々の暮らしの中に入ってきました。(昭和10年ごろ)

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男の子は丸えりの学生服、女の子はセーラー服になりました。(昭和12年ごろ)

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高等小学校のお姉さん(昭和12年ごろ)

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戦争が近づいてきたので、着るものも昔にもどってきました。(昭和13年ごろ)

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上段の写真では、兄は制服にズック靴をはいています。(昭和16年)
ところが、下段の写真では、兄のズボンが破れたので下を切り取って半ズボンにしているのがわかります。また、ズック靴が手に入らなくなってきたので、昔に戻って藁ぞうりを履くようになりました。(昭和17年)

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昭和13年ごろの家族の写真

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第二次大戦後の家族の写真。女の人はみんな「モンペ」をはいていました。(昭和25年ごろ)

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農業をするときは、こんな着物姿でした。(昭和10年ごろ)

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戦後の服装。着物を半分に切って、上着とモンペにしました。(昭和25年ごろ)

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戦争が終わってからもモンペは女の人の作業着として人気があり、昭和35年ごろまではみんなが履いていました。(昭和35年ごろ)

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