生石高原の麓から

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室家の娘 ~岩出町(現岩出市)根来~

 根来寺に近い集落の中に「室家番」「室家垣内」と呼ばれる一角がある。そのほぼまん中あたりが、室家右兵衛尉忠家(むろや うひょうえのじょう ただいえ)の屋敷跡とか。

 

 この話は、住持が池小野小町にさかのぼる。

 康和のころというから、12世紀のはじめ。子宝に恵まれない忠家、ご利益があるという近くの小町塚に日参して、ついに女の子、をもうけたが、これが何と小町そっくり。

 そしてふしぎなことに、桂の髪は、住持が池の水をつけないとすけない。そのうち桂は、和泉国へ嫁ぐことになった。豪華な花嫁行列が池のそばを通ったとき、それまで静かだった池が急に波立ち、一匹の大蛇が現われた。と思ううち、桂は大蛇にさらわれて池の中へ……。

 

 タマネギ畑に囲まれたような屋敷跡から、住持が池まで直線距離で1キロたらず。行列が通ったという狭い道が、池の方へうねりながらのぼっていた。

 (出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

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紀伊国名所図会 二編六之巻下 住持池の大蛇
国立国会図書館デジタルコレクション)

住待池(小野小町の伝説)

(略)

小町は、
深草少将さまを裏切った罪は深く身をもって知りました。
私はもうだめです。
しかし、もし私に子どもができたら必ずその子をあなたに差し上げます
というと、帰らぬ人となってしまいました。
 村人は、小町にたいへん同情して、寺のそばに少将の供養塔に並べて小町の墓を建てました。

いつごろか不明だが、村人たちの間で小町の墓にお願いすれば、子どもを授けてくださるという、言い伝えがあるということです。
市勢要覧2016/第2次岩出市長期総合計画 後期基本計画概要版|岩出市

 

  • 小町が「子どもができたらあなたに差し上げよう」と誓ったこと、さらに小町の墓にお願いすれば子どもが授けられるという信仰が生まれたこと、この2つの事柄が本文の物語への伏線となっている。

 

住持池 室家の桂姫とのまつわり

康和(筆者注:1099 - 1104)のころ、根来山の麓、西坂本に室家右兵衛尉忠家(むろや うひょうえのじょう ただいえ)という豪家があった。

彼は豪華な生活をし、裕福に暮らすことのできる身でありながら、ただ、子供のないために淋しく過していた。

ある日小野ノ小町の墓に詣れば子供ができるということを聞いた。
忠家の妻は、二十一日絶食して彼女の墓に祈願をこめた。
やがて忠家の妻は妊娠した。
忠家夫婦の喜びは言うまでもない。
幾日かが過ぎてそこに産み落したのは桂姫(かつら ひめ)

桂姫は不思議にも小野ノ小町そっくりな非常な美人だった。
だんだん成長していく桂姫は、住持池の水をつけなければ髪は梳(す)けなかった
それでいつも住持池の水を汲んできては梳いていた。

 桂姫が年頃になったころ、どこから忍び入るのか毎夜毎夜丑満時(うしみつどき)に彼女の枕元へ美男が現われ、そしてどこへ行くともなく消えていくのだった。

ちょうどそのころ、和泉国尾崎の大原源蔵高広(おおはら げんぞう たかひろ)という北面の武士に嫁ぐ約束がなった。
いよいよ嫁ぎ行く日がきた。空はがらりと晴れて雀まで嬉しそうにさえずっていた。
めでためでたで室家をでた。箪笥・長持・挾箱(はさみばこ)・豪華な嫁入行列を付近の人々は珍しそうに見物していた。
やがて行列は住持池の場にさしかかった。

折しも一天俄かにかき曇って池には大波が立った。
ところが驚くなかれ、岸に押寄せる波にはあの不思議な大蛇が乗っていた。
人々があれよあれよというまに大蛇は桂姫をさらって再び池の中にはいってしまった。
人びとはただ夢見るように池水を眺めていた。
母の悲しみ、堤に立って泣きあかす母の姿、それは見ても哀れであった。
同情ある村人とともに近くの遠上藪に灯をたいて三日三晩祈祷した。

四日目の朝もまた母は堤に立って桂姫を慕っていた
蛇に召された娘ならもうあきらめて差し上げます。どうか一度娘の顔を見せてくださいませ」。
静かな水際でただ母のすすり泣く声のみ哀れに響いていた。
やがて鏡のような水面が小波を立て始めた。
だんだん大きくなってそこに現れたのは大蛇と桂姫の半身
おお桂姫
母は我身を投げて娘に抱きつこうとした。
人々の走り寄った時には、もはや桂姫の姿でなく二匹の大蛇が仲よく遊泳していた
深草少将の望みも、幾十年かを経て、ついにかなったのである 

  さんさ坂本室家の娘
     嫁にいたとは住蛇池

子守唄にまで唄われる位のこの事件以後、住持池(じゅうじがいけ)は住蛇池(じゅうじゃいけ)とも呼ばれるようになった。そして、百姓たちはこの蛇を見たことも少なくなかった。

岩出町:住持池 室家の桂姫とのまつわり | 和歌山県文化情報アーカイブ

 

  • この物語について、大正11-12年(1922 - 23)に発行された「和歌山県那賀郡誌 下巻和歌山県那賀郡役所)」の「伝説」の項では、「住持が池」という題名で次のように紹介されている。これによれば、妻となるはずの女性を連れ去られたことに怒った大原源蔵が池の水を抜いて大蛇を退治したとされるが、肝心の女性(かつら)は龍宮に嫁したまま戻らなかったようである。

住持が池

 根来村大字西坂本にあり、此辺の大池なり。
 池の中に二小島あり。堤の上二個の小祠あり。一は水神を祀り、一は池を作りし住持を祀るとて、住持坊の社といわる。
 根来寺の住持、此所の地勢を考えて池を作り、民の利を興したりと言わるれど年暦明ならず。
 文化某年五月頃より八月に至る迄、此地の辺に白鷺群集せしことあり、何故なるを知らず。古老の談によれば、昔時より約五十年毎に此事ありと。
 此池には昔大蛇あり住す故に住蛇が池と称すといえど、文献徴するに足るものなし。
 相伝う、康和年間(1099 - 1104)西坂本の辺に室家右兵衛忠家とて庄園夥多領する豪家ありけり。一人の娘ありて名をかつらという。容色優れて二八(16歳のこと)の花の色深し。然れども、何故か鬢髪油を以て梳(くしけず 「梳る」は「髪をとかす」の意)れども、もつれて悩むこと切なり。而も此池の水を以てすれば良く梳ることを得たり
 和泉の国に大原源蔵高広とて北面の武士(院御所の北面に詰め、上皇の身辺を警備した武士)あり。此娘と婚約整い、輿入の当日、錦繡の装美々しく行列賑かに此地の堤を通りかかりしに、俄に黒雲簇(むらが)りて雷鳴り震動すること天地も崩るるが如し。其中より大蛇二十歳許(ばかり)の男子に化け、娘を抱き飛ぶが如くに池中に入りぬ。
 娘の父母号泣して止まず。如何にもして取り返さんとすれども得ず、只一回父母に水際より姿を見せたるままにて龍宮に嫁したり。源蔵大に怒り、夥多の士卒を隨え、池水を乾し大蛇を退治す。夫(それ)より以来人民害を免れ田園の養となれりと。
 かの忠家が領する池なりとて、庄司が池と呼ばれしを、後世誤りてぢうじ(じゅうじ)が池といいならわせりとは名所図会紀伊国名所図会)の説く所なれども、池の名称何れに起因せるやは判じ難し。さはいえ、室家なる名が西坂本に字(あざ)室家垣内として残れるを見れば、穴勝ち無根のこととも思われず「さんさ坂本 室家の娘 嫁入りしたとは住持が池」との童謠は、其片鱗を語るものに非らざるなきか、島上の水神は大蛇の霊を祀り、龍王を崇むという。

 

  • 上記引用文において「子守歌」あるいは「童謡」とされるものは「根来の子守歌」を指す。この歌は江戸時代から唄い継がれていると考えられており、根来寺を中心とした紀の川筋一帯と有田地方などで唄われている。歌詞にも複数のバリエーションがあるとされるが、現在、基本とされているのは次のとおりであり、室家の娘の歌詞は5番にある。

1 ねんねん根来の よう鳴る鐘はヨ
   一里聞えて 二里ひびくヨ
2 ねんねん根来の かくばん山でヨ
   としょじ来いよの 鳩が鳴くヨ
3 ねんねん根来へ 行きたいけれどヨ
   川がおとろし 紀の川がヨ
4 さんさ坂本 箒はいらんヨ
   お不動詣りの 裾ではくヨ
5 さんさ坂本 室谷(むろや)の娘ヨ
   嫁にいたとは 住蛇池(じゅうじゃいけ)
6 ねんね根来の 塔の堂の前でヨ
   横に這うかよ 臥竜(がりゅうまつ)

岩出町:根来の子守唄 | 和歌山県文化情報アーカイブ

 

  • 根来の子守歌の2番の歌詞のうち「としょじ」の解釈をめぐってはいくつかの説がある。一つは「年寄り」がなまったという説。もう一つは「東照神君」である徳川家康を唄いこんだという説。また、根来寺の末寺であった「東照寺」のことを指し、秀吉の紀州征伐で根来寺が攻められた際に東照寺からの援軍を求めたことを唄いこんだものとも言われる。これに関連して、3番の歌詞も根来へ援軍を送りたいが、紀の川に阻まれて送れない無念さを唄ったもの、とする説もある。
    NPO法人日本子守唄協会 子守唄 - ねんね根来の〔一〕 - 和歌山市布引
  • としょじ」の解釈について、前出の「那賀郡誌」の「歌謡」の項では次のように記述されており、「山東庄からの援軍を求めたもの」との説を紹介している。

ねんね根来の かくばん山で としょじこいよの 鳩が鳴く

或人いう
「名草郡山東に とうしょうじと名づくる丘阜(筆者注:きゅうふ 小高い場所)あり。阜上平坦形勝の地たり。天正の昔根来寺の配下たる山東の豪族ここに城を築きて居す。十三年
三月根来山危し急を告げて授軍を需むること切なり。かくばん山は即ち覚鑁上人(かくばん しょうにん)の開基せし根来山のことにて、無心の鳩ですら此時悲痛の声を放ちて救を乞いし哀謠なり」
云々
※筆者注:よみやすさを考慮して、漢字及びかなづかいを適宜現代のものにあらためるとともに、改行、句読点等を追加した。また( )内は筆者による。

 

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。