生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

椎木明神 ~広川町津木小鶴谷~

 標高650メートルの長者ケ峰。広川町と中津村の境界でもある。そのふもと、津木小鶴谷。大小の岩々がそそり立ち、容易に近づけないところに椎木(しいのき)明神がまつられている。一面に椎の木が茂り、ひとかかえ以上もある古木も。

 
 物語としては、老母に化けた蛇を撃ち殺した猟師が、毎夜悩まされて狂い死んだという蛇伝説。蛇がからんだこの種の伝説は多いが、異説もあり、話す人によって違う。

  

 この明神さんは、人里離れているため、いまは人家近くに分霊を移してしまっている。毎年お祭りを欠かさず、モチ投げをするなどしてにぎわう。

 

(メモ:国鉄湯浅駅から出る権保行きの白浜急行バスで落合下車。)

(出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

長者ヶ峰

 

  • この物語は、広川町(ひろがわちょう)の広報紙「広報ひろがわ 平成25年2月号 No.430」の「広川町誌からみる広川町」のコーナーで「広川町大蛇伝説」として紹介されている。

-広川町大蛇伝説-

 津木小鶴谷の奥に、めったに人の近づかない場所があり、そこに椎木明神という神がまつられています。ここに伝わる大蛇伝説を2月号で紹介します。

 

 昔この附近に猟師が住んでいて、毎日のように山に出かけるが、ある日のこと、この椎木の大木のある附近まで鹿を追って来ると「オーイ、オーイ」と叫ぶ声がするので振りかえると、家に留守居の筈の老母が「今、家に客が来ているからすぐ戻るように」という。
 急いで帰ってみると客などは見えず老母は台所仕事をしているので、「どうしたんだ」とたずねると、老母は何もしらぬ、ましてお前を呼びに行ったりせぬという。こんなことが二、三回もつづいたので、これは何か魔性のもののいたずらかも知れぬと考えて、ひそかに覚悟をきめてまた例の場所へ近づくと、相変わらず老母がむかえに来る。ここぞと思いきってズドンと一発老母めがけてブッぱなした。すると老母の姿は消え、あとに点々と血のしたたりが続いているので、それをつたって行くとわが家の床下まできている。床下をうかがうとそこに長年家で飼っていた三毛猫が死んでいた。おのれ恩しらずの猫め、主人をたぶらかすとは何ごとぞと想い、今度はと、例の場所まで行って鹿笛を吹いて、鹿寄せにかかった。すると椎の古木から、鎌首をあげて大蛇がせまってくるではないか。
 驚いた猟師は、猟する者が持つ最後の丸、この丸を打てば再び鉄砲打つことは出来ぬという「ナマンダブツの丸」をこめて、大蛇めがけて一発で仕止めてしまった。
 ところが、家に帰ったその夜から、毎夜のごとく大蛇がうらめしそうに枕元へ現れて来て、「鹿だと思ったので姿を現したのだ。なぜ俺を撃ったのだ」とにらみつける。
 とうとうその男は気が変になって死んでしまった。
 人々はこの大蛇のたたりを恐れて神として祭ることにした。猫はたぶん大蛇の居る場所へ近づく主人を思いとどまらせようとして、老母の姿に化けて呼んだのだろう
 この話には語る人によって異伝もある。

広報ひろがわ 平成25年|広川町

 

  • 前述の文中にある「ナマンダブツの丸」とは、通称「隠しダマ」と呼ばれるもののことであろう。この伝承は各地にあるようだが、毎日放送制作のTVアニメ「まんが日本昔ばなし」において「汗かき鉄砲(1977年10月15日放送)」というタイトルで下記の物語が放送されている。

 昔、奈良の吉野の山深い里に、たくさんの猟師たちが暮らしておった。その中でも、栄造(えいぞう)という男は、肝っ玉がすわった鉄砲の名人だった。
 年末になり、栄造はまた山に入ることにした。最近、この近くの山では化け物から猟師が八つ裂きにされる事件が起きていたが、剛腕の栄造はあまり気にとめていなかった。さっそく鉄砲の弾作りに取りかかった時、痩せこけた子猫が外で震えて鳴いている声を聞いた。猫好きだった栄造は、かわいそうにと思い家の中に入れてやった。
子猫は床に転がっている弾にじゃれ付いて遊んでおったが、おっかあが猫の様子がおかしいことに気が付いた。そこでおっかあは、「明日、山へ入るときは隠しダマを持って行きなさい」と忠告した。この隠しダマとは、南無阿弥陀仏と刻まれていて必ず当たるが使ったら猟師を辞めないといけないという言い伝えのある弾だった。
まさかあんなチビ猫が・・・と栄造は思ったが仕方なく隠しダマを持って山に入った。
 栄造が山中で一服していると、黒雲の中から巨大な化け猫が現れた。それは紛れもなく昨夜の猫だった。化け猫は弾数を把握していたので、栄造が弾切れになったとわかると一気に襲いかかってきた。栄造は覚悟を決めて最後の隠しダマをぶっ放し、九死に一生を得ることができた
 その日12月20日から、栄造は言い伝え通りぷっつりと猟師をやめた。この時に使っていた鉄砲は、恐怖のせいか毎年12月20日にはベットリと汗をかくようになった。
(紅子※サラ文庫の絵本より 2011-8-16 21:04)

まんが日本昔ばなし〜データベース〜
まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 汗かき鉄砲  

 

  • また、自分の家で飼っている猫が魔物になったとの話も他所に類例がある。大分県から熊本県へ続く古道「霧立越(きりたちごえ)」で開催された「第11回霧立越シンポジウム 平成20年5月10日~11日」において、狩猟儀礼作法伝承者の尾前善則氏が次のような話を紹介している。

 ネコは昔から魔物というてあるのです。私は、今年から猟は止めましたが、弾を造る道具は鋳型から何まで持っています。全部弾は作っておりました。囲炉裏のところで鉛を溶かし、鋳型に流しこんで一発一発造るのですねえ。そこにネコがおって、一つ弾を造ればコクリとやって弾遊びをする、弾を数えおったと。そして最後の弾を作るまでネコが見届けていたので、今度はネコに見られないようにして隠し弾を作ったわけです。隠し弾というが、鉄の弾ですね。チョカの尻、鉄瓶の尻に「チ」がついておるんです。あれで隠し弾を作った。
 そして、猟に行ったらそこに大きなモノがおった。それで、なんぼ撃っても、当たってもなんともない。倒れないのですね。それで、今度は向かってきたので隠し弾の一発弾で撃ったんですね。そしたら倒れた。そして、帰ってみたら木戸口から血がずーっと垂れておったという話なんです。それが自分とこのネコだったということなんですね。それだから、ネコに見られたら危ない。だから弾を作る時は、ネコがおる家では、どこにいるかとネコを探して捕まえて、ネコを押さえておって弾を作りよったとですよ。
霧立越

 

  • 広川町の小鶴谷(こうずや)は、昭和30年(1955)の合併以前は津木村に属しており、現在の行政区域では下津木(しもつぎ)地区に位置付けられている。下津木地区の中では最南端にあり、現在では地区内の林道を経由して長者ケ峰(ちょうじゃがみね)に登ることができるが、本文執筆時点ではまだこの林道は完成していなかった。

 

  • 小鶴谷の手前にある滝原地区には、「滝原温泉 ほたるの湯」がある。もともとは「広川町交流促進センター」として広川町が建設し平成11年(1999)に営業開始した施設であるが、指定管理者制度を導入し、大規模改修を経て平成25年(2017)から株式会社フラット・フィールド・オペレーションズが運営管理を行っている。同社は、「本家さぬきや」の商号で知られ、うどん等の和食レストラン経営を本業としていたが、自ら料理旅館を経営したり、宿泊施設の運営受託を行うなど、事業が多角化してきたことから、平成28年に従来の「株式会社本家さぬきや」から「株式会社フラット・フィールド・オペレーションズ」に商号変更したものである(新商号は同社社長の姓である「平野」を「平= flat 」「野= field 」と英語に変えたものと思われる)
    滝原温泉 ほたるの湯 | 和歌山県・広川町の宿泊施設もある温泉。

 

  • 「ほたるの湯」の横を流れる広川のすぐ上流には、広川ダムがある。このダムは、昭和28年(1953)に発生し和歌山県北部~中部に甚大な被害を及ぼした「紀州大水害(28(ニッパチ)水害、7.18水害とも)」を教訓として設けられたもので、昭和49年(1974)に竣工した重力式コンクリートダム。洪水調節を主目的とする治水ダムであるが、渇水時には河川維持用水を供給する役割も担う。ダム周辺には約1000本の桜があり、花見客で賑わう。
    広川ダム[和歌山県] - ダム便覧

 

  • 本文中にあるモチ投げなどの祭礼の現状については不明。

 

  • メモ欄中、交通アクセスは熊野御坊南海バス湯浅線「ほたるの湯」停留所が直近であるが、現在は平日のみの運行となっているので運転日に注意が必要。

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。