生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

おこない棒 ~那智勝浦町那智山~

 昔、那智山がいた。この鬼、里へ出てきては田畑を荒らし、村人たちを困らせる。
 そこで村人たち、一計を案じて鬼にいった。
 「もっとヒマな時に出てくればいいのに。ヒマなのは正月の元日から七日までや

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海中の井戸 ~那智勝浦町~

 紀の松島で知られる勝浦湾に「モグラ水道」と呼ばれる水脈が走り、海底から真水がわきでている。全国でも珍しい海中井戸だ。
 これは、文覚上人(1120~?)にまつわる、動物報恩の話。

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徐福の話~新宮市徐福町~

 国鉄新宮駅前から、東へ約100メートル。大きな樟が生い茂る小公園の中に、自然石の碑が建つ。碑面の字は「秦徐福之墓」。入り口には、やはり「史蹟 秦徐福墓」と刻んだ、高さ1メートルばかりの石柱。
 いつも香華の絶えることのないこの墓には、はるかな昔の、しかも海を距てた中国との、深い友情のきずなを語る話が伝わる。

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酒が足らんさけ ~新官市~

 酒にまつわる話は多い。しかも、その多くは酒が故の失敗談であったり、そのしくじりが喧嘩口論に発展したというものだが、いまも新宮で語られるこの話は、いわば「酒飲みのへ埋屈」であり、そのために身近な笑い話として残ったものだろう。

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美少女おいの ~新宮市新宮~

 「好いた同志のうれしい首尾で 心浮島ひとめぐり」。
 新宮節にもうたわれている天然記念物「浮島の森」は、いまなお神秘的な雰囲気をただよわせる。そして、その神秘さをそのまま語るような話が伝わる。

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橋杭の立岩 ~串本町鬮野川(くじの川)~

 古座町の国道わきから、約2キロを距てた大島に向かって、大小30余の岩礁が立ち並ぶ。高さ20メートルの、切りたった大岩も含めたそれは、文字通り一直線。ちょうど橋ゲタのように連なる。

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お雪の墓 ~串本町大島~

 大島は、太平洋戦争の頃まではむしろ、串本の町より賑わった。とくに徳川三百年の間。江戸へ通う船乗りたちのオアシスとして重宝された。

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鯨のお礼~串本町有田~

 有田稲村米吉というこどもが、命を助けてやった鯨の背に乗ってアメリカヘ渡り、そこの森の神さまから巨木をもらって帰った。「以前、お米をもらったお礼です」。少年はそういって、巨木を金持ちの家へ贈った。

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おおな魚~串本町和深~

 おおな魚。春、菜の花の咲く頃から釣れはじめ、5月末までがシーズン。和名イシナギ。本州南岸では和深沖の「おおな地」だけで釣れるという。

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権八地蔵 ~すさみ町江須ノ川~

 明治の初年、すさみ町里野の東海岸にある大きな洞窟に、三人の親子が住んでいた。父親は伝次、母親はたま、男の子はたまの連れ子で権八といい、毎日、門づけに歩いた。

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