「和歌山あれやこれや」のカテゴリーでは、和歌山県内各地に伝わる歴史や伝承などを気ままに紹介していきます。
今回は、江戸時代末期に幕府代表として江戸城の無血開城を決断し、明治維新後は新政府の要職を歴任したことで知られる勝海舟(かつ かいしゅう)の和歌山での足跡を紹介します。
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今回は、明治時代に日本初のサッカー指導書となる「アッソシエーション・フットボール」を編纂するとともに、同じく日本初のサッカーチームとされる「東京高等師範学校ア式蹴球部」の創部に関わるなど、日本サッカーの黎明期に大きな役割を果たした那智勝浦町出身の中村覚之助(なかむら かくのすけ)を紹介します。
日本サッカー界の統括団体である公益財団法人日本サッカー協会(JFA)はその前身である大日本蹴球協會の時代から「三本足のカラス」をシンボルマークとして用いていますが、このマークは熊野の神の使いである「八咫烏(やたがらす)」を図案化したものとも言われており、これが選ばれた経緯には覚之助が熊野地方の出身であったことが大きく影響していると考えられています。