生石高原の麓から

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高松の投げ頭布 ~和歌山市東高松~

 いまの国道42号線が、みごとな松並木の道だった江戸時代。近くにすむ牝狐通行人に赤い頭布を投げては、茶店に誘い込むという、いたずらを繰り返したそうな。人々は警戒をするのだが、本物の茶店の女が、やはり頭布を投げるので見分けがつかない。

 

  結局、その狐は、娘に化けて殿さまの行列に近づき、斬り殺されてしまったというのだが、明治の末に電車が通りはじめたころ、やはり女に化けて電車を止める狐が出没したとか。そこで電車の運転手や車掌たちが、近くの高松寺に稲荷社をつくったと。

 

 このお話には、いまひとつ別なのがある。牝狐がねらうのは男ばかり。そこで一人の度胸自慢の男が、誘われたとみせかけて、逆に狐をつかまえたという。だが、昼夜をわかたず激しく車の行き交ういま、そんな愉快な話は、人々からしだいに忘れられて行く。

 

(メモ:牝狐が出没したというのは、高松交差点に近いバス停のあたりとか。高松寺は、そこから北へ約400メートル。)

 (出典:「紀州 民話の旅」 和歌山県 昭和57年)

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紀伊国名所図会初編二之巻 高松茶屋・根上り松 
国立国会図書館デジタルコレクション) 

  • 和歌山城追廻門から紀州東照宮まで約一里(約4キロメートル)の道を「和歌浦街道(和歌道)」とよぶ。江戸時代に描かれた「紀伊国名所図会」によると、街道の両側には松並木が続いており、現在の高松交差点あたりには休憩所となる茶屋があったという。このあたりは「吹上砂丘」と呼ばれる砂地であったため、この地に育つ松の木は根を取り巻く砂が風雨で飛ばされて、根が露出した「根上がり松」という独特の景観を示していた。こうしたことから、高松周辺は和歌山城下に暮らす人々にとって一種の行楽地として親しまれていたと考えられている。

 

  • 紀伊国名所図会」の「高松茶屋」の頁には、「亀屋」「竹屋」「松屋」と呼ばれる三軒の茶屋が描かれている。これらの茶屋は互いに競うように客引きをしていたであろうことから、上記の話のように頭巾を投げていたのかもしれない。

 

  • 本文では詳細を書いていないが、和歌山市が昭和59年(1984)に発行した「和歌山市の民話(資料集・下)」には「投げ頭巾ギツネ」に関する複数の伝承が収載されており、その多くが、加茂四郎という人物が男性器の形をした石を用いて牝狐を懲らしめた、という話になっている。また、本文では狐が娘に化けて殿さまの行列に近づいて斬り殺された、という結末になったとするが、下記の引用文を見る限りでは、これとは別の「狐と狸の知恵比べ」譚が「投げ頭巾」の話と合体して後に生まれたもののように思われる。

1 投げ頭巾(ずきん)ギツネ
 むかしは和歌山から和歌浦へは、殿さんたちのお成りの街道やったんや。代々の殿さんはよう東照宮玉津島へおまいりになったさかいな。高松のあたりは根上り松あって、松林のつづく淋しい所やったけど、茶屋が三軒あったんや。亀屋松屋竹屋や。そこに女郎がいて客を呼ぶんや。男が通ると、女が頭へかける頭巾をなげかけて、男をひっぱり込むんや。そんなん明治の中ごろまで続いたんやねえ。
 そのうち、松林の中をきれいなお姫様が通るのをよう見かけるんやて。そいて夜、男が通ると、お姫さんが出てきて頭巾をなげて引張るんやの。高松茶屋のまねすんのや。男ならだれでも、相手があんまり美しいんでついていくんやな。そいたら寝よらいうて寝かされるんや。しばらくして目さめたらよ、愛宕山のお堂で一人ねかされてんのや、男は精をぬかれて病人みたいになって動けんのや。高松茶屋はお姫さんに客横取りされて、さっぱり はやらんわ。
 そうするうちに、矢の宮の稲荷の狐高松の狐に、「お前だますのうまいけど、関戸の関四郎だまして見い」ていうたんで、ひきうけたんやな。いつものように頭巾をなげて関四郎をさそいこむんや。ところが関四郎は、今日こそ正体みたろと思うてたさかいな、男の道具(マラ)の形をした石をふところへかくしもっとったんや。それをお姫さんにぶすっと突込んださか、お姫さんは、「キャアー」ちゅうて泣いて愛宕山へ逃げこんだんや。それから関四郎が、雨の日や日暮れにそこを通ると、「関四郎のマラは石マラや」いうて、山の中からおめくようになったんや。 それから高松茶屋の女郎のまねするお姫さんは見やんようになったんや。その石まだあるんや。西幸醤油屋に三百円ぐらいで売ったんや。大工さんの賃が一日一円ぐらいの時や。
※筆者注:「西幸(ニシコ)醤油」は和歌山市にあった醤油醸造会社。平成8年(1996)に「大醤(だいしょう)株式会社(大阪府堺市)」へ業務を承継した。
歴史・沿革 | 大醤株式会社

※筆者注:関西テレビ制作のドラマ「裸の大将」の67話「清の焼おにぎり」は西幸醤油が舞台となっており、藤岡琢也が経営者、河合奈保子がその娘を演じた。
裸の大将(67) 清の焼おにぎり - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇
[話者=西川千里(西高松) 記録=面川

 

2 投げ頭巾(ずきん)ギツネの話
 わしの子どもの頃によう聞いた話やが・・・。これも投げ頭市ギツネの話やが、こっちの話の方が本家のようや。
 百四、五十年ほども前のことかいな。和歌山市高松と云うところ - 根上り松のようけあったところや。
 そこに三軒の茶店があって、そこの茶屋女が道行く人に自分の頭巾を投げて、媚(こび)を売って客を引いていたそうな。そんな女のことを投頭巾と云うたらしいで。
 ところが、この辺りに住む性悪ギツネが、夜な夜な街頭に出てきては、投げ頭巾の女に化け、若侍をだましては精も魂(こん)も吸いつくして殺したんやそうな。ある時のことやった。
 淡路に住むライバルのタヌキがキツネに向って
おまえ、このごろえらい羽振りきかしてるそやが、偉けりゃ関戸の加茂四郎をようだまして見るかえ
とそそのかしたんや。
 そいでキツネは加茂四郎をねらうようになった。その加茂四郎はえらい男で、なかなかキツネなんぞにだまされへん。
 一寸ここらでお色気話になるけど、加茂四郎はだまされたふりしてキツネに近付き、あらかじめ持ってきた石の性器で、ここぞとばかりにキツネをいじめたおしたんよ。
 キツネは悲鳴をあげて「関戸の加茂四郎は石マラや」と云いもて近くの愛宕山へ逃げていったそうや。
 それからあとの話やけど、キツネはタヌキに「お前はどぐさいやっちゃ」と云われて負けてられやんので「ほたらお前、なんぞに化けられるか」と聞くと「わいは紀州の殿さんに化けて見せたる」と云うんやしよ。
 そいでキツネは約束の時間に待ってると、そらもう立派な行列がやって来るやないかい。
 キツネは感心して行列のはたまで行ってカゴの戸を開けて
お前には勝てやんな・・・
と云うと、はたにいてた供侍が
無礼者!
ちゅうて可哀想に斬られてしもたそうな。
 わしもこの話を聞いて、うまいこと作った話やな・・・と思うていたが、ついこの間、つてがあって、加茂四郎がキツネをいじめたという石の性器を見せてもろてきた。
 以前は加茂四郎の子孫の関弁助さんが持っていたんやそうやが、今は三葛の小川さんのとこにあるんや。
 「石玉茎(せきぎょくけい)」と上書きした桐の箱に納められ、和歌山の学者の書いた漢文の書き付けと一緒に大事に保存されているんやしょ。
 こら投げ頭巾の話も、ほんまか嘘なんかよう分らんようになってきた・・・と思たよ。
 それにキツネの方も、高松の高松寺(こうしょうじ)というお寺はんに祀られるし、また和歌浦口には「投頭巾」という饅頭(まんじゅう)もできてよう繁昌しているが、キツネもほんまに名(なあ)、売ったもんやで。
[話者=高垣忠雄(堀止東) 記録=萩野

 

3 投げ頭巾
 徳川さんのころは、現在の車庫前の東側に和歌山と和歌浦に通ずる道があった。そこに根上りの松玉津島神社に根っこが保存されている)の大木があった。道の両側に小竹やすすきが生え茂り、細い道はいっそうせまくるしくなっていた。
 若い人達は、毎晩の様に繁華街に遊びに出て行った。帰り道、宇須のその根上り松の辺で何時も四、五人の若い別ぴんさんに「兄さん遊びませんか」と手を引かれる。若いゆえついつい遊んで帰る、二晩、三晩と遊ぶうちのある時や、和歌浦の権やんが、関戸の加茂四郎に云った。「加茂やん、わしね、身体がどうも変や、あそこが弱って来た」「実は、わしも遊んだがどうも変や」というような話があったわけや。
 そこである日のこと、加茂四郎は雑賀崎の浜に行き、男性のシンボルによう似た石を拾ってきた。
 その晩、宇須の道を通ると相変らず若い別ぴんさんが誘いに来た。「よし今夜こそ」と懐に入れて来た石のシンボルを使ったんやと。すると投頭巾は大声をはり上げて「加茂四郎は石まら、石まら」と泣きさけんで逃げ出したそうな。
[話者=井辺五音(西浜) 記録=川崎]

 

4 投げ頭巾最後の悪戯
 矢ノ宮神社バッチョと云うタヌキがおったんや。このタヌキと、秋葉山の太蛇高松の投頭巾ギツネの三匹が仲良しで、いたずらばっかりしてたんやそうな。関戸関加茂四郎という青年が住んでいたんや。この人は関戸から京橋の方へよく遊びに行くんや。ある日、高松の街道まで来ると、「京橋まで遊びに行かんと ここで遊んで行きよしよ」と美しいおなごが誘うんや。
 関さんも“ハハン、これが投頭巾”と思い、だまされてるふりして、持っていた(ろう)石で作った男のシンボルを使ったんや。
 「関戸の加茂四郎は石まらや」と云って逃げ出したんやと。それからは悪戯せんようになったと云うことや。
[話者=岡本隆法(東高松) 記録=川崎

 

5 加茂四郎の話
 高松の投頭巾で有名な関加茂四郎は私の先祖になるんよ。人がええばっかりに、ある人に押した印がもとで、本家は勿論、親戚縁者みな落ちぶれてしもたらしいんよ。親代々から聞かされてるんや。加茂四郎の本家に当たる者は、今、西宮に住んでるよ。「加茂四郎は石まらや」と投頭巾から云われたあの品は、その西宮の家に桐の箱に入れて、家の家系図と一緒に保存されてるよ。
[話者=小田八重子(西小二里) 記録=川崎

 

6 殿さんの行列
 むかし岡公園のあたりに「おこんギツネ」というキツネが住んでたんやと。
 そのおこんギツネがある日のことに、秋葉山に住んでたタヌキに向って
明日、昼から行列に化けて見せるよって、お前よーう見ていよよ
と云うたんやと。その翌日、タヌキが見ていると、高松から和歌浦までの松並木の美しい街道を、そら立派な殿さんの行列が「下にー 下に」といいながらやって来るんやして。
 タヌキはすっかり感心してしまい、秋葉山から飛び出して行って
何んとよう化けちゃあるな。化けるのうまいもんやなー
と感心したんやが、ほいたら難なくつかまえられたという話をよう聞いたわな。
[話者=小畑弘子(鳴神) 記録=田中

 

  • 本文に登場する高松寺(鶴林山高松寺)は、慶長17年(1612)、祥屋玄禎(しょうおくげんてい)大和尚により和歌山城二の丸御殿内で長福寺として開基され、江戸時代中頃に現在地に移転されて高松寺となった。もともとの本堂は老朽化が甚だしかったため、新本堂が平成6年(1994)に新築された。和歌山西国三十三ヵ所観音霊の第一番札所で、「高松禅寺」とも言われる。
  • 明治時代末頃、女に化けて市内電車を止める狐が出没したため、運転手や車掌らがこの狐を祀り、供養するためにつくられたのが高松寺内の稲荷社であると伝えられる。
    和歌山西国三十三ヶ所(高松寺)

 

  • かつて、和歌山市和歌浦西に「投頭巾本舗不二屋」という菓子店があり、この物語にちなんだ「投頭巾」という焼菓子を販売していた。

 

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本ページの内容は、昭和57年に和歌山県が発行した「紀州 民話の旅」を復刻し、必要に応じ注釈(●印)を加えたものです。注釈のない場合でも、道路改修や施設整備等により記載内容が現状と大きく異なっている場合がありますので、ご注意ください。