生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

救いの太刀 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)道湯川~

  鎌倉時代岩神峠に狂暴な山賊が出た。この辺りは、熊野権現に通じる参詣路。参拝の旅人も絶えてしまった。このため京都の六波羅探題は、「山賊を退治した者には恩賞を取らせよ」と、ふれを出した。

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野中の一方杉 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)野中~

  継桜王子の境内に立つ十本の老杉。いずれも南へと枝をのばし、北側には枝がない。高さ約10メートル。中には、幹回り8メートルの大木も。

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秀衡桜 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)野中~

  藤原秀衡が、赤ん坊を「滝尻王子社」裏の岩屋に預けたあと、その子の成長を願って突き刺した杖が根づいたという老桜が、野中の古道のわきにある。

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野長瀬一族 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)近露~

 国道311号線を近露に入ると、間もなく道の北側に小さな丘陵が見えてくる。その明るい共同墓地の地続きに、野長瀬一族の墓がある。南朝を守った強者たちをまつるその墓には、五輪塔が54基と、宝篋印塔が6基。県文化財

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怪力悪四郎 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)大内川~

 昔、十丈峠に、カが強く、とんちにたけた悪四郎という男がいた。

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狼の乳岩 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)滝尻~

  かつて、きらびやかな王朝貴族が行きかい、おびただしい庶民が「蟻の熊野詣で」の形容そのままに、ただひたすら熊野へと歩を急がせた「熊野古道」。いまや、そのおもかげをとどめるコースは少なくなったが、石船川が富田川に合流するあたりに、小さな社がある。

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からし地蔵 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)西谷~

  清姫の墓の近くから北ヘ、西谷川にそって2キロほど行くと福巖寺がある。境内のお地蔵さんは、文政6年(1823)、83歳で亡くなった第六世住職、鉄凌道機和尚をまつったものといい、土地の人は「一願地蔵」とか「からし地蔵」と呼ぶ。

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清姫狂乱 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)真砂~

  平安の頃、真砂(まなご)の里に美しい娘がいた。名は「」という。山路に咲く百合のように、その姿は清らかで、村の男たちのあこがれの的だった。縁談は降るようにあったが、には、心ひそかに想いを寄せる若者がいた。毎年、熊野詣での途中、の館に立ち寄り、一夜の宿をとる奥州白河の「安珍」という僧だった。

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藤九郎神社 ~白浜町瀬戸~

 瀬戸浦にある小さな神社は、海の神さま。かつて田辺の沖を通る船は、海に供物を投げた。瀬戸浦の船主は、祭礼になるとノボリを立て、にぎやかに参拝したという。

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からと岩 ~田辺市上秋津~

  会津をさかのぼると、岩と水のコントラストがすばらしい奇絶峡(きぜっきょう)に着く。その一角に、石の扉をぴったりと閉ざした岩穴がある。「からと岩」という。むかし、金の鶏を入れて石の戸を閉め、上に呪文を刻んで出られないようにしたものだとか。梵字らしいそれは、摩滅して読めない。

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