生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

2020-01-01から1年間の記事一覧

野中の一方杉 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)野中~

継桜王子の境内に立つ十本の老杉。いずれも南へと枝をのばし、北側には枝がない。高さ約10メートル。中には、幹回り8メートルの大木も。

秀衡桜 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)野中~

藤原秀衡が、赤ん坊を「滝尻王子社」裏の岩屋に預けたあと、その子の成長を願って突き刺した杖が根づいたという老桜が、野中の古道のわきにある。

野長瀬一族 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)近露~

国道311号線を近露に入ると、間もなく道の北側に小さな丘陵が見えてくる。その明るい共同墓地の地続きに、野長瀬一族の墓がある。南朝を守った強者たちをまつるその墓には、五輪塔が54基と、宝篋印塔が6基。県文化財。

怪力悪四郎 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)大内川~

昔、十丈峠に、カが強く、とんちにたけた悪四郎という男がいた。

狼の乳岩 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)滝尻~

かつて、きらびやかな王朝貴族が行きかい、おびただしい庶民が「蟻の熊野詣で」の形容そのままに、ただひたすら熊野へと歩を急がせた「熊野古道」。いまや、そのおもかげをとどめるコースは少なくなったが、石船川が富田川に合流するあたりに、小さな社があ…

からし地蔵 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)西谷~

清姫の墓の近くから北ヘ、西谷川にそって2キロほど行くと福巖寺がある。境内のお地蔵さんは、文政6年(1823)、83歳で亡くなった第六世住職、鉄凌道機和尚をまつったものといい、土地の人は「一願地蔵」とか「からし地蔵」と呼ぶ。

清姫狂乱 ~中辺路町(現田辺市中辺路町)真砂~

平安の頃、真砂(まなご)の里に美しい娘がいた。名は「清」という。山路に咲く百合のように、その姿は清らかで、村の男たちのあこがれの的だった。縁談は降るようにあったが、清には、心ひそかに想いを寄せる若者がいた。毎年、熊野詣での途中、清の館に立…

藤九郎神社 ~白浜町瀬戸~

瀬戸浦にある小さな神社は、海の神さま。かつて田辺の沖を通る船は、海に供物を投げた。瀬戸浦の船主は、祭礼になるとノボリを立て、にぎやかに参拝したという。

からと岩 ~田辺市上秋津~

右会津川をさかのぼると、岩と水のコントラストがすばらしい奇絶峡(きぜっきょう)に着く。その一角に、石の扉をぴったりと閉ざした岩穴がある。「からと岩」という。むかし、金の鶏を入れて石の戸を閉め、上に呪文を刻んで出られないようにしたものだとか…

怪力獺田 ~田辺市稲成町~

昔、稲成の里に、獺田(おそだ)というカの強い若者がいて、阿波の力自慢の相撲取りからカくらべを申し込まれた。そこで獺田は、そばの太い孟宗竹を二本引き抜き、二本の指で押しつぶして褌(ふんどし)をつくり、一本を相手に渡した。

高山寺 ~田辺市稲成町~

「お弘法さん」と、土地の人たちに親しまれている高山寺は、紀南地方きっての名刹。真言宗御室派の寺院で、聖徳太子の創建といい、太子堂には太子自作の像が、また御影堂には、弘法大師が糸田川の渕に自からの影を写して刻んだと伝えられる像が安置されてい…

ショウジョウの釣場 ~田辺市元町~

昔、田辺の浦に、笛がたいそう巧みな若者がいた。ある日、立戸の浜で笛を吹いていると、美しい娘が現われ、流麗な音色に聞きほれた。

蟻通しの神さま ~田辺市湊~

田辺の商店街にある「蟻通神社」には、とても頭のよい神さまがまつられているという。

武蔵坊弁慶 ~田辺市湊~

国鉄紀勢線紀伊田辺駅に降り立つと、まず大きな像が目に飛び込んでくる。頭布をかぶり、大なぎなたを手にした。いかつい弁慶。

鶏合わせ ~田辺市湊~

国鉄紀伊田辺駅前の商店街の近くに、大きな鳥居の社がある。熊野三山のひとつである本宮大社の分神で、保安(1120年代)のころ、本宮を治めた別当湛快が、新熊野権現(いまくまのごんげん)としてまつったといい、人はこの社を闘鶏神社と呼ぶ。

軍道の腰神さん ~印南町崎の原~

ギックリ腰に悩む人や、お年寄りに人気があるという、風変わりな神さまがいる。崎の原の「腰神さん」だ。

畑峰の六地蔵さん ~印南町樮川~

「コン二ャクをお供えしたら、どんな病気でもたちまちすっかりよくなってしまう」。そんな重宝なお地蔵さんが「畑峰の六地蔵」。いや「コン二ャク地蔵さん」の名で親しまれ、町外の人たちにまで知れわたっているお地蔵さんだ。

イボ薬師 ~印南町宮の前~

いつの世でも、ホクロと違って、イボはなぜか嫌われる。まして、うら若い女性にとっては、昔もいまも悩みのタネ。ところがここに、頼めばイボを取ってくれる薬師さんがいる。

足の宮さん ~印南町島田~

中山王子社は、またの名を「足の宮さん」という。足の病気に霊験あらたかだとかで、いまも足や腰の悪い人たちが、あちこちから訪れている。

亀地蔵 ~印南町西ノ地~

「どんな願いごとでも、一つだけやったら、必ず聞いてくれはる地蔵さん」。そんなお地蔵さんが、印南町西ノ地にある。「亀の地蔵」という。

コイノボリを立てぬ里 ~南部町(現みなべ町)堺~

堺は、戸数200戸ほどの静かな漁村。だが、この里では、昔から端午の節句がきても、コイノボリを立てないのがならわしだという。

出合いの渕の河童 ~龍神村(現田辺市)大熊~

龍神は、村の95%強が山林という秘境。その奈良県境に近い、奥まったところに大熊の集落が散在する。「がたろう渕」・・・むかし、河童がいたという「出合いの渕」は、そんなところにある。

龍神温泉と天誅組・大菩薩峠

(「紀州 民話の旅」番外編) 別項「枕がえしの怪」のメモ欄で言及されていた「天誅倉(てんちゅうぐら)」は、現在の田辺市龍神村小又川地区にある民家の土蔵のことを言う。ここは、文久3年(1863)、尊皇攘夷を訴えて大和国(現在の奈良県)で挙兵した「天…

龍神温泉と役行者・弘法大師

(「紀州民話の旅」 番外編) 前項「枕返しの怪」で取り上げた旧「龍神村(現在の田辺市龍神村)」の名の由来は、弘法大師(空海)が龍王の夢のお告げによりこの地に温泉を開き、そこを「龍神温泉」と名付けたことによるものと言われている。この温泉は美肌…

枕がえしの怪 ~龍神村(現田辺市)小又川~

役の行者がみつけた湯を、弘法大師が難陀竜王の夢のお告げで開いたことから、「龍神」と呼ばれるようになったという龍神村。その小又川から十津川越えをする途中に「蟻の越え」の難所があり、そこに樹齢数百年のモミの大木があったとか。

万歳滝の地蔵 ~美山村(現日高川町)寒川~

美山の山は深い。その山深い美山の一番奥まったところにある寒川地区から、さらに4キロほど上ったところに「万歳滝」というのがある。

鶴と温泉 ~美山村(現日高川町)初湯川猪谷~

スギとヒノキが、みごとな幾何学模様を描く美山の里。そんな山深い里にふさわしい話が、いまも語りつがれている。

「清井之上」と木地師

(「紀州 民話の旅」番外編) 前項「清井之上の話」では、平家の落人伝説が残されている旧美山村の「清井之上(せいのうえ)」地区について紹介したが、この集落について「美山村史」では「木地師(木地屋)」が大きな役割を担っていたものとの考察を示して…

清井之上の話 ~美山村(現日高川町)上初湯川~

深い山ヒダを流れ下る初湯川。その上流に近いあたりに、ひっそりとたたずむ上初湯川の集落。ふだんは、眠ったように静かなこの山里も、お盆の夜だけは、打って変わったにぎわいをみせる。源平時代の名残りを伝えるという「上初湯川踊り」(笙絃音頭)のレコ…

牧野兵庫頭と由井正雪

(「紀州 民話の旅」番外編) 前項「王丸谷の六地蔵」では、この地に伝わる六地蔵と五輪塔が紀州徳川家の家老・牧野兵庫頭(まきの ひょうごのかみ)ゆかりのものであることを紹介したが、紀州徳川家初代藩主徳川頼宜(よりのぶ)の時代に牧野兵庫頭が引き起…