生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

2020-01-01から1年間の記事一覧

王丸谷の六地蔵 ~美山村(現日高川町)愛川李~

清水町に近い村の北辺の李(すもも)。そこの草深い道ばたに、六地蔵と五輪塔がある。土地の人は、それを「王丸谷(おまんだに)の地蔵さん」という。

赤い谷と蛇杉 ~美山村(現日高川町)初湯川~

もう何百年も、日高川の流れを静かに見守ってきた美山の山里。そのひなびた山村が、いま大きく表情を変えようとしている。日高の流れをせき止める「椿山ダム」。だが、こうしたあわただしさをよそに、いまもなお、ひとり静けさを秘めているのが、初湯川の上…

山姥山 ~中津村(現日高川町)下田原~

日高川の清流が大きく蛇行し、澄みきった水が、しぶきを上げながら、巨岩を縫って勢いよく流れ落ちるあたり。「出姥山」は、そんな景勝の地の一角にある。

弁慶の建てたお堂 ~中津村(現日高川町)高津尾~

ゆったりと流れる日高川。その静かな水音が、水ぎわまで立ち並んだヒノキ林に吸い込まれて行く。

手取城 ~川辺町(現日高川町)和佐~

県内各地につくられた約700の城郭のうち、最もよく原型をとどめているのが、川辺町和佐にある手取城だといわれる。

笑い祭り ~川辺町(現日高川町)江川~

顔に真っ赤な紅を塗った笑い主の「鈴振り」が、「ワッハッハ」「ワッハッハ」と豪快に笑ってねり歩く、珍しいお祭りが川辺町江川の丹生神社に伝わる。10月10日の「笑い祭り」がそれだ。

徳本上人 ~川辺町(現日高川町)千津川~

「南無阿弥陀仏」の念仏一辺倒で、全国の庶民層から、絶大な支持を得たと伝えられる徳本上人。生誕地は日高町だが、若いころの6年間、厳しい修行を積んだのが、川辺町千津川落合の草庵だったといい、千津川にはいまも、上人をしのぶ話がいくつか残っている。

髪長姫 ~川辺町(現日高川町)鐘巻~

「川辺」の名は知らなくても「道成寺」だけは知っている……。安珍清姫で語られる道成寺は、いまも昔も、日本の代表的な民話の舞台。だがその創建にまつわる話を知っているだろうか。

白崎むかしばなし ~由良町大引~

白崎の海辺は白い。それまで、くねくねとした狭い道を、手に汗しながらハンドルを切ってきたドライバーの眼に、氷山のような、真っ白な岩が飛び込んでくる。海面にそびえたつ白い巨岩。紺碧の海との、みごとなコントラスト。

由良のお天気博士 ~由良町網代~

漁を左右する大きな要素に、お天気の見きわめがある。「波はあっても、この風はおさまる」「いまはないでいるが、夜明けにはシケてくる」などという読みが大切なのだ。由良の漁師たちが、天性のように海の気候をピタリと当てられるのは、この地方に伝わる「…

五右衛門と天狗 ~由良町門前~

その昔、五右衛門という大男がいた。大泥棒の石川五右衛門と同名だけあってか、めっぽう負けん気が強く、イノシシを射つのが三度の飯よりも大好き。あるとき、山ヘイノシシ狩りに行ったが、その日に限って一頭も仕止めることができない。イライラしながら山…

室町幕府第15代将軍 足利義昭と興国寺

(「紀州 民話の旅」番外編) 前項、前々項で由良町の興国寺を紹介したが、同寺には、天正2年(1574)、室町幕府第15代将軍である足利義昭が移り住んでいる。義昭は、その前年に行われた「槇島城の戦い」で織田信長に敗れたことから、京都を追放されたのであ…

開山の天狗 ~由良町門前~

由良町門前の「開山興国寺」。尺八を吹きながら、全国を托鉢して回る虚無僧の本山として広く知られているが、森閑とした境内にたたずむと、「沢山の天狗がすんでいた」という古くからの話が、いかにも現実味をおびてくる。

天狗の建てた寺 ~由良町門前~

虚無僧の本山として知られる。尺八、金山寺みそ、しょうゆの元祖寺ともいわれる興国寺だが、かつては何度も火災にあい、そのたびに壇家や村人たちは途方に暮れていた。

小池の大日如来さま ~日高町小池~

高さ83センチ。桧の寄木造り。背中の扉を聞けると、多くの古文書がある小池の大日如来。この如来さまの話は、応仁の乱にさかのぼる。

産湯の話 ~日高町産湯~

夏。産湯(うぶゆ)の海は、若者たちでにぎわう。海と山にはさまれた、ひっそりとした集落。真っ赤な外車やスポーツカーで乗りつけた若者たちは、決まって聞くという。「どうして産湯というの?」。

雷につかまれた話 ~日高町志賀~

雷にまつわる話は多いが、日高町で「雷の話」といえば、決まって、次のお話が登場する。

湯川直春の亡霊 ~日高町志賀~

日高地方には、湯川一族にまつわる伝説が多い。これも、そのひとつ。

乙姫の雨壺 ~美浜町三尾~

竜王神社に「乙姫の雨壷」と呼ばれる岩のくぼみがある。

海に沈んだ阿弥陀さま ~美浜町三尾~

三尾に竜王神社というのがある。三尾からアメリカやカナダなどへ移住した人は多い。そんな海外の氏子たちからも親しまれている珍しい神社だ。

上人穴 ~美浜町三尾~

全国を念仏行脚した徳本上人。横暴をきわめた紀州八代藩主・重倫(しげのり)でさえ、上人の念仏を聞いて反省したと伝えられるほど、その威徳は大きかったという。

煙樹ヶ浜の狐 ~美浜町和田~

あたかも煙が、ゆったりと浜辺にたなびいているかのようだとして、名付けられたとか。その「煙樹ヶ浜(えんじゅがはま)」のみごとな松林。かつて十万本を超えたという松林だが、最近はマツクイムシの猛攻にあい、徳本上人が沖行く船の安全を祈って百日百夜…

熊野の大蛇退治 ~御坊市塩屋町森岡~

御坊平野の東南部のはずれの森の中に、静かに鎮座する須佐神社。いま、裏手の丘陵地が、つぎつぎと削り取られて行く。やがて、総合運動公園が作られるとか、その変容ぶりは、目ざましい。

金の神輿と雨乞いの壺 ~御坊市熊野~

のどかな田園地帯の一角。うっそうと茂る木立の中の高台に鎮座するのが熊野(いや)神社。

子安さん ~御坊市小松原~

御坊市湯川町小松原にある湯川神社は、近くのお年寄りたちから「子安さん」と呼ばれて親しまれている。「子安さん」は、安産の神様。亀山城主、湯川直春の妻、富の前が、この神社に産室をつくり、富士山のふもとの浅間神社の分霊を勧請してまつったところ、…

身代り如来さま ~御坊市御坊~

御坊市の中心街にある浄土真宗本願寺「日高別院」の本尊は、別名「身代り阿弥陀如来」。高さ96センチ。寄木造りのこの像のノドより少し下の部分、胸の中心線にちょっとした穴がある。直径1.5センチ、深さ2センチ足らずのこの小さい穴が、この地方の人たちと…

井戸杉 ~清水町(現有田川町)清水~

江戸時代、幹まわりが10メートルもある大杉があり、そのそばに「井戸の唐石」という、大きな石があった。ある夜、その石が掘り返されていたので調べると、石の下から大日如来の石像が出てきた。早速、安置したが、その跡が大きな井戸になり、どんどん水がわ…

蚕の神さま ~清水町(現有田川町)沼~

ひと昔前まで、紀州でも有数の養蚕地だったらしく「蚕神の碑」が残っている。いまでは養蚕農家も減って、碑のことを知る人も少なくなった。

生石高原の山焼き

前項「生石山の弘法水」において生石高原のことを紹介したが、生石ヶ峰の山頂付近に広がるこの高原は近畿地方有数のススキ草原として知られており、この草原を保全するために、地元自治体(紀美野町、有田川町)と生石高原観光協会の主催により毎年3月に「山…

生石山の弘法水 ~金屋町(現有田川町)生石~

弘法大師が、聖地を求めてあちこちを訪ね歩いていたときのこと。やがて生石山(おいしやま)にたどり着いたが、山頂からの景色は素晴らしく極楽浄土の姿だった。そこで、腰の矢立をとって一筆したためようと、足元の土を指先で掘り、清水を求めたとか。