生石高原の麓から

和歌山の歴史・文化・伝承などを気ままに書き連ねています

03復刻&解説「紀州 民話の旅」

畑峰の六地蔵さん ~印南町樮川~

「コン二ャクをお供えしたら、どんな病気でもたちまちすっかりよくなってしまう」。そんな重宝なお地蔵さんが「畑峰の六地蔵」。いや「コン二ャク地蔵さん」の名で親しまれ、町外の人たちにまで知れわたっているお地蔵さんだ。

イボ薬師 ~印南町宮の前~

いつの世でも、ホクロと違って、イボはなぜか嫌われる。まして、うら若い女性にとっては、昔もいまも悩みのタネ。ところがここに、頼めばイボを取ってくれる薬師さんがいる。

足の宮さん ~印南町島田~

中山王子社は、またの名を「足の宮さん」という。足の病気に霊験あらたかだとかで、いまも足や腰の悪い人たちが、あちこちから訪れている。

亀地蔵 ~印南町西ノ地~

「どんな願いごとでも、一つだけやったら、必ず聞いてくれはる地蔵さん」。そんなお地蔵さんが、印南町西ノ地にある。「亀の地蔵」という。

コイノボリを立てぬ里 ~南部町(現みなべ町)堺~

堺は、戸数200戸ほどの静かな漁村。だが、この里では、昔から端午の節句がきても、コイノボリを立てないのがならわしだという。

出合いの渕の河童 ~龍神村(現田辺市)大熊~

龍神は、村の95%強が山林という秘境。その奈良県境に近い、奥まったところに大熊の集落が散在する。「がたろう渕」・・・むかし、河童がいたという「出合いの渕」は、そんなところにある。

龍神温泉と天誅組・大菩薩峠

(「紀州 民話の旅」番外編) 別項「枕がえしの怪」のメモ欄で言及されていた「天誅倉(てんちゅうぐら)」は、現在の田辺市龍神村小又川地区にある民家の土蔵のことを言う。ここは、文久3年(1863)、尊皇攘夷を訴えて大和国(現在の奈良県)で挙兵した「天…

龍神温泉と役行者・弘法大師

(「紀州民話の旅」 番外編) 前項「枕返しの怪」で取り上げた旧「龍神村(現在の田辺市龍神村)」の名の由来は、弘法大師(空海)が龍王の夢のお告げによりこの地に温泉を開き、そこを「龍神温泉」と名付けたことによるものと言われている。この温泉は美肌…

枕がえしの怪 ~龍神村(現田辺市)小又川~

役の行者がみつけた湯を、弘法大師が難陀竜王の夢のお告げで開いたことから、「龍神」と呼ばれるようになったという龍神村。その小又川から十津川越えをする途中に「蟻の越え」の難所があり、そこに樹齢数百年のモミの大木があったとか。

万歳滝の地蔵 ~美山村(現日高川町)寒川~

美山の山は深い。その山深い美山の一番奥まったところにある寒川地区から、さらに4キロほど上ったところに「万歳滝」というのがある。

鶴と温泉 ~美山村(現日高川町)初湯川猪谷~

スギとヒノキが、みごとな幾何学模様を描く美山の里。そんな山深い里にふさわしい話が、いまも語りつがれている。

「清井之上」と木地師

(「紀州 民話の旅」番外編) 前項「清井之上の話」では、平家の落人伝説が残されている旧美山村の「清井之上(せいのうえ)」地区について紹介したが、この集落について「美山村史」では「木地師(木地屋)」が大きな役割を担っていたものとの考察を示して…

清井之上の話 ~美山村(現日高川町)上初湯川~

深い山ヒダを流れ下る初湯川。その上流に近いあたりに、ひっそりとたたずむ上初湯川の集落。ふだんは、眠ったように静かなこの山里も、お盆の夜だけは、打って変わったにぎわいをみせる。源平時代の名残りを伝えるという「上初湯川踊り」(笙絃音頭)のレコ…

牧野兵庫頭と由井正雪

(「紀州 民話の旅」番外編) 前項「王丸谷の六地蔵」では、この地に伝わる六地蔵と五輪塔が紀州徳川家の家老・牧野兵庫頭(まきの ひょうごのかみ)ゆかりのものであることを紹介したが、紀州徳川家初代藩主徳川頼宜(よりのぶ)の時代に牧野兵庫頭が引き起…

王丸谷の六地蔵 ~美山村(現日高川町)愛川李~

清水町に近い村の北辺の李(すもも)。そこの草深い道ばたに、六地蔵と五輪塔がある。土地の人は、それを「王丸谷(おまんだに)の地蔵さん」という。

赤い谷と蛇杉 ~美山村(現日高川町)初湯川~

もう何百年も、日高川の流れを静かに見守ってきた美山の山里。そのひなびた山村が、いま大きく表情を変えようとしている。日高の流れをせき止める「椿山ダム」。だが、こうしたあわただしさをよそに、いまもなお、ひとり静けさを秘めているのが、初湯川の上…

山姥山 ~中津村(現日高川町)下田原~

日高川の清流が大きく蛇行し、澄みきった水が、しぶきを上げながら、巨岩を縫って勢いよく流れ落ちるあたり。「出姥山」は、そんな景勝の地の一角にある。

弁慶の建てたお堂 ~中津村(現日高川町)高津尾~

ゆったりと流れる日高川。その静かな水音が、水ぎわまで立ち並んだヒノキ林に吸い込まれて行く。

手取城 ~川辺町(現日高川町)和佐~

県内各地につくられた約700の城郭のうち、最もよく原型をとどめているのが、川辺町和佐にある手取城だといわれる。

笑い祭り ~川辺町(現日高川町)江川~

顔に真っ赤な紅を塗った笑い主の「鈴振り」が、「ワッハッハ」「ワッハッハ」と豪快に笑ってねり歩く、珍しいお祭りが川辺町江川の丹生神社に伝わる。10月10日の「笑い祭り」がそれだ。

徳本上人 ~川辺町(現日高川町)千津川~

「南無阿弥陀仏」の念仏一辺倒で、全国の庶民層から、絶大な支持を得たと伝えられる徳本上人。生誕地は日高町だが、若いころの6年間、厳しい修行を積んだのが、川辺町千津川落合の草庵だったといい、千津川にはいまも、上人をしのぶ話がいくつか残っている。

髪長姫 ~川辺町(現日高川町)鐘巻~

「川辺」の名は知らなくても「道成寺」だけは知っている……。安珍清姫で語られる道成寺は、いまも昔も、日本の代表的な民話の舞台。だがその創建にまつわる話を知っているだろうか。

白崎むかしばなし ~由良町大引~

白崎の海辺は白い。それまで、くねくねとした狭い道を、手に汗しながらハンドルを切ってきたドライバーの眼に、氷山のような、真っ白な岩が飛び込んでくる。海面にそびえたつ白い巨岩。紺碧の海との、みごとなコントラスト。

由良のお天気博士 ~由良町網代~

漁を左右する大きな要素に、お天気の見きわめがある。「波はあっても、この風はおさまる」「いまはないでいるが、夜明けにはシケてくる」などという読みが大切なのだ。由良の漁師たちが、天性のように海の気候をピタリと当てられるのは、この地方に伝わる「…

五右衛門と天狗 ~由良町門前~

その昔、五右衛門という大男がいた。大泥棒の石川五右衛門と同名だけあってか、めっぽう負けん気が強く、イノシシを射つのが三度の飯よりも大好き。あるとき、山ヘイノシシ狩りに行ったが、その日に限って一頭も仕止めることができない。イライラしながら山…

室町幕府第15代将軍 足利義昭と興国寺

(「紀州 民話の旅」番外編) 前項、前々項で由良町の興国寺を紹介したが、同寺には、天正2年(1574)、室町幕府第15代将軍である足利義昭が移り住んでいる。義昭は、その前年に行われた「槇島城の戦い」で織田信長に敗れたことから、京都を追放されたのであ…

開山の天狗 ~由良町門前~

由良町門前の「開山興国寺」。尺八を吹きながら、全国を托鉢して回る虚無僧の本山として広く知られているが、森閑とした境内にたたずむと、「沢山の天狗がすんでいた」という古くからの話が、いかにも現実味をおびてくる。

天狗の建てた寺 ~由良町門前~

虚無僧の本山として知られる。尺八、金山寺みそ、しょうゆの元祖寺ともいわれる興国寺だが、かつては何度も火災にあい、そのたびに壇家や村人たちは途方に暮れていた。

小池の大日如来さま ~日高町小池~

高さ83センチ。桧の寄木造り。背中の扉を聞けると、多くの古文書がある小池の大日如来。この如来さまの話は、応仁の乱にさかのぼる。

産湯の話 ~日高町産湯~

夏。産湯(うぶゆ)の海は、若者たちでにぎわう。海と山にはさまれた、ひっそりとした集落。真っ赤な外車やスポーツカーで乗りつけた若者たちは、決まって聞くという。「どうして産湯というの?」。